(※写真はイメージです/PIXTA)

2021年の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一は、パリで学んだ知識を生かし、武士と商人が力を合わせて商いを営む「商法会所」を設立。駿府藩の財政改革に乗り出します。渋沢はその生涯において500社を数える企業の設立や運営などに関わったと言われています。歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんの解説を読めば、大河ドラマを楽しめること間違いなし。※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

どんな人でも見捨てない…本業と社会事業を両立

渋沢さんには、「人を見捨てない」という姿勢が一貫してありました。実際に渋沢さんの生き様を追ってみますと、「どうして、そこまで」と言いたくなる渋沢さんの姿に出会います。

 

渋沢さんが助けた相手や組織は、数があまりに多過ぎて挙げるのが難しいほどですが、まず事業におけるかつての敵を助けた例を一つ、紹介します。

 

渋沢さんが王子製紙の代表取締役社長を務めていた頃の話です。同社に出資していた三井から、藤山雷太という人物が経営の監視役として派遣されてきました。

 

三井はこれまで渋沢さんに経営の裁量をある程度任せていましたが、この頃になると三井が渋沢さんに代わって経営の主導権を握ろうと考えていたのです。

 

歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんが渋沢栄一を語る。
歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんが渋沢栄一を語る。

そこで、藤山は三井側の意向を受けて、渋沢さんに対し、「組織の刷新を図りたいので、王子製紙の社長を辞めてくれないか」と告げました。藤山は、「栄一は王子を生涯の居場所と考えていたこともあり、すこぶる機嫌が悪くなりましたが、言われたとおりに王子製紙を去りました」と、三井に報告を入れています。

 

渋沢さんはこのとき、「なるほど、自分が社長を務めていると、組織がなあなあで緊張感のないものになりがちになる。藤山に言われたとおりに、王子製紙を去ろう」と判断したのでした。藤山の言葉に、内心、心は乱れましたが、決して間違ったことを言っているのではないと思ったのでした。

 

そんな藤山も、その後、三井との不和から王子製紙を去り、不遇な身の上になっていました。一方、渋沢さんは疑獄事件の渦中にあり、社長・酒匂常明が拳銃自殺をした日本精糖(現・大日本明治製糖)を再建するにあたり、その重役を探していました。そこで渋沢さんが白羽の矢を立てたのが藤山雷太でした。藤山は渋沢さんの依頼を受諾し、すべての持てる力を発揮して会社の立て直しに成功しました。

 

次は、社会事業における渋沢さんの姿勢です。「東京養育院」が舞台になります。渋沢さんは国や自治体と対立しても、この組織を見捨てませんでした。

 

この組織は、生活困窮者を支援する組織で、渋沢さんは「東京養育院」の院長就任を依頼されました。「養育院に関わることは実業家としてどうなのだろう」と不安視しながらも、「それが社会のためになる」という理由で依頼を引き受けました。

 

引き受けた渋沢さんは本業のかたわらで、熱心に運営を行いました。しかし、資金を提供した東京市(現在の東京都)議会で、「公金を使って困窮者を助けるのは、いたずらに怠け者を増やすだけ」として経営廃止論が採択されました。

 

この採択は現代から見ると、間違った採択でした。渋沢さんはそれでも、「必要なことは、たとえ公的支援がなくてもやり遂げる」と決意し、巧みな手腕で寄付金を集めていきました。こうして社会の支持を得た養育院は、のちに東京市へと返還され、公共事業の成功例になるのでした。

 

渋沢さんは生涯院長の職を務め続けます。実に46年、年数では第一国立銀行頭取よりも長く務めました。どれほど忙しくても月に1回は養育院を訪れたと言います。

 

渋沢さんの社会貢献からは、本業と同じくらい熱心に本気になっている様子が伝わってきます。ここまでして世のため、人のために尽くしたのです。その根源にあったのは、渋沢さんの「資産と道徳はどちらが欠けてもダメだ」という「道徳経済合一説」でした。

 

たとえば、お金を稼ぐのに道徳的な心得がないと、社会のためにならない稼ぎ方になってしまいます。まさに「ウィズコロナ」の時代に痛いほど実感できる考え方で、「マスクの高額転売」「新型コロナウイルス対策をうたった医学的エビデンスのない医療品」「社会不安につけこんだ情報商材の押し売り」などです。

 

約600の社会事業に携わったと言われる渋沢さんは、「日本赤十字社」の設立などにも関わりました。社会事業は、実業界を退いた後も、亡くなる前まで尽力しました。数多くの社会貢献をしてきた渋沢さんは、社会事業、慈善活動も、持続性のあるものを計画的にやらなければいけないという方針でした。だからこそ、「そろばん勘定が必要だ」と考えていたようです。

 

 

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