(※写真はイメージです/PIXTA)

2019年12月4日、日本人医師中村哲氏が、アフガニスタンで武装勢力に襲撃され死亡しました。中村医師は脳神経内科の医師ですが、アフガニスタンでは、医師としての活動以上に大きな功績があります。それは用水路の建設です。中村医師が建設した用水路で、実に65万人ものアフガニスタン人が救われたと言われています。中村哲医師の功績を追ってみました。

手探りの用水路建設

この壮大な計画は、手掘りから始まりました。スコップだけで掘るのですから、完成までに何十年かかるかわからないという、気の遠くなるような計画だったのです。建設に従事する人に払える賃金は、1日1ドルか2ドル程度でした。しかし、それでも現金収入が欲しい現地の人たちが、100人、200人と集まるようになり、最終的に400人から500人まで増えました。

 

こうして、作業は当初の予定より順調に進んでいきます。しかし、用水路建設を提唱した中村医師も、土木に関する知識はありませんでした。そこで彼は、日本に帰国するたびに書店に足を運び、土木関連の本を買って独学で勉強しました。こうして、中村医師にとって、まるで畑違いの大事業がスタートしたのです。

用水路工事は問題山積

しかし、クナール川は水量が多く流れが早いので、大量の土砂も一緒に用水路に流れ込んできます。そのため、せっかく築いた土手が、何度も濁流によって壊されました。このように、計画がスタートした当初は、さまざまな問題が次から次に持ち上がったのです。

 

夏場は雪解け水によって、クナール川の水位が上がるので、工事が困難になりました。これでは、工事がなかなか進みません。困り果てた中村医師は、故郷・福岡県の朝倉市を流れる筑後川の「山田堰」に注目しました。山田堰は、江戸時代に作られた取水堰です。つまり、重機を一切使わず、人力だけで築かれた堰なのです。

先人の知恵が詰まった山田堰

山田堰は、川の流れに対して、石を斜めに敷き詰める工法で作られていました。そのため、水が柔らかく当たるので、堰をえぐることなく流れていくのです。さらに、川底に土砂が溜まらないように、土砂はきが作られており、しかも川の流れを3本にして、互いの力を打ち消すようになっていました。ここに、山田堰が江戸時代から今日まで、築後川の流れを支えている秘密があったのです。中村医師は、用水路建設に山田堰の工法を取り入れることにしました。

 

彼は、日本や欧米のような、重機を使った近代工法は採用しませんでした。なぜなら、先進国の技術で作ると、現地の人はアフターメンテナンスができないからです。重機を使って作った用水路は、重機がないとメンテナンスができないのです。これでは、用水路が壊れても、現地の人々は修理することができません。山田堰にヒントを得た中村医師は、針金で編んだ籠に石を詰めて堰を作る、「蛇籠工」を用いて工事を進めました。この工法なら、壊れても手作業で修復が可能だからです。

試験通水の日に中村医師が見せた笑顔

工事開始から1年後、用水路は一応の完成を見ました。多くの人々が見守る中、クナール川から用水路に水を流す、試験通水が行われたのです。中村医師は、用水路に流れ込む水の一番先頭を、笑顔で歩いていました。一大事業を成し遂げた、誇り高い笑顔でした。

 

この用水路は今では立派に完成し、アフガニスタンの大地を潤して、多くの人々を干ばつから救っています。
 

 

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