「ワクチン」を作ったはずの野口英世が黄熱病で亡くなった理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

「野口英世は黄熱病のワクチンを作って、多くの命を救った」…学校の近代史でそう習った覚えはありませんか。しかし、これは間違っているようです。では、どう間違っているのか、この記事で詳しく解説しましょう。野口英世はワクチンを作っていないのに、多くの人を黄熱病から救ったと言われるのは、なぜなのかについても解説します。

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野口英世の略歴を簡単にご紹介

野口英世は、福島県の貧しい農家に生まれました。1歳の頃、誤って囲炉裏に落ちてしまい、左手に大やけどを負います。ひどいやけどのため、彼の左手の指はくっついたままで、クラスメートにからかわれました。15歳の頃、野口英世はクラスメートの募金によって左手を手術し、自由に指が動かせるようになりました。

 

自分の指を治してくれた医学に感激した野口英世は、医師を目指すようになります。19歳で上京した彼は20歳で医師免許を取得し、医学者への道を進みます。23歳でアメリカに渡り、ペンシルベニア大学で助手を務め、41歳になるとエクアドルに赴き、そこで黄熱病のワクチンを開発したとされています。しかし、その後彼は西アフリカで黄熱病の研究中に、黄熱病にかかり52歳で亡くなりました。これが野口英世の人生の概略です。

 

ここで、1つの疑問がわきます。野口英世が黄熱病のワクチンを開発したのであれば、黄熱病の研究をする前に、当然自身もワクチンを打ったはずです。そうしなければ、黄熱病患者を診察したり検体に触れたりすれば、黄熱病にかかるおそれがありますから。しかし、ワクチンを打っているにもかかわらず、野口英世は黄熱病にかかって死亡しました。ということは、彼が作ったのは、黄熱病のワクチンではなかったことになります。

 

なぜなら、黄熱病のワクチンを打てば、黄熱病にはかからないはずだからです。このことから言えるのは、野口英世が黄熱病のワクチンを作ったというのは、間違いだということです。何よりも、彼が黄熱病にかかって死んだことが、それを証明しています。でも、私たちは「野口英世は黄熱病のワクチンを作った」と覚えています。では、どうしてこんなことになったのでしょうか。

度重なる不幸な偶然が生んだ悲劇!?

1918年にエクアドルに赴任した野口英世は、当時現地で蔓延していた黄熱病の研究に着手します。彼はまず、黄熱病の病原菌を検出しようと、現地の医師から黄熱病患者の検体を提供してもらいます。しかし、その検体は黄熱病患者のものではなく、当時現地で流行していた、ワイル病患者の検体だったのです。黄熱病とワイル病は症状が似ているので、現地の医師が間違えてしまったのです。しかし、提供された検体の確認をしないで、野口英世が黄熱病の検体と思い込んでしまったところから、通常ではあり得ない間違いが起きてしまいます。

 

提供された検体が、黄熱病患者のものと思い込んでいる野口英世は、やがてレプトスピラ・イクテロイデスという細菌を発見します。そして、これが黄熱病を起こす病原体であると、誤認してしまったのです。彼は早速、自身が所属するアメリカのロックフェラー財団に報告し、財団によってワクチンが開発され、中南米各地の黄熱病患者に接種されました。しかし、そのワクチンはワイル病のワクチンですから、黄熱病に効くはずがありません。でも、集団接種が始まったのは、ちょうど黄熱病が終息に向かっていた時期だったので、あたかもワクチンが効いたかのように見えたのです。

 

その結果、野口英世は大勢の人を黄熱病から救った救世主として、間違った評価を受けることになります。その後、野口英世は、西アフリカで感染拡大する黄熱病を沈静化するために、再びワクチンを持って現地に向かいます。しかし、当時外国に行くには、船を使うのが一般的でした。どんなウイルスでも、猛威を振るう期間は4ヵ月程度と言われています。つまり、黄熱病も4ヵ月を過ぎると、感染力が弱まるのです。

 

そのため、彼が3ヵ月近くかけて、船で西アフリカに到着した頃には、黄熱病は終息に向かっていました。たまたまその時期にワクチンを接種したため、ここでもワクチンが効いたと、野口英世は称賛されることになります。野口英世が黄熱病のワクチンを開発したと言われるのは、このような不幸な偶然が重なった結果なのです。野口英世が西アフリカに到着した翌1927年、彼は現地で研究中に黄熱病に感染し、発症からわずか10日で亡くなりました。

本当の黄熱病ワクチン開発者

本当に黄熱病のワクチンが開発されたのは、野口英世の死後10年の年月が経ってからでした。開発者のマックス・タイラーは、その功績によって、1951年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。彼は野口英世よりもあとに、ロックフェラー財団が運営する研究所に入りました。マックス・タイラーは、野口英世が亡くなる1927年より前に、黄熱病の病原体を突き止めていました。しかし、当時すでに野口英世はビッグな存在であったのに対して、マックス・タイラーは、ただの1研究者にすぎませんでした。だから、野口英世の間違いを指摘することは、できなかったのかもしれません。

 

マックス・タイラーは、その後も地道な研究を重ね、ついに黄熱病のワクチン開発に成功したのです。このように、野口英世は黄熱病のワクチンを作っていないという、ハッキリした歴史的事実がありながら、どうして私たちは、学校で間違ったことを教えられてきたのでしょうか。野口英世は偉大な研究者には違いありませんが、黄熱病研究において、検体の出所の確認を怠るという、初歩的なミスを犯してしまいました。その結果、黄熱病のワクチンを開発したと誤認したことが、彼の命を縮めることになったのです。

 

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1955年宮崎県生まれ。明治学院大学文学部英文学科卒業。システムエンジニア歴25年。フリーライター歴15年。初期の頃は雑誌など紙媒体を中心に、現在はWeb記事を中心に執筆。執筆記事数は7000本を超える。
サブカルチャー、ムック本などのほか、時事ニュースやコラム記事の執筆もある。歴史が好きで、幕末史に独自の見解を持つ。大正時代、昭和初期の歴史にも興味があり、誰も書かなかった近代史を書きたいとの構想がある。
著書:
鹿児島あるある(TOブックス)
勝手に現代風にアレンジしたことわざ辞典(三交社)

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