周囲の対応が「二次障害」を引き起こしてしまうことも
発達障害の特性を持ちながら、現在の教育の枠内に押し込められる子どもたちは、どれだけ窮屈でしょう。そして、そこからはみ出したからといって「問題児」というレッテルを貼られ、能力を発揮する機会を奪われてしまうのは、本人にとっても社会にとっても不幸なことです。
例として、ADHDの子どもの日常について考えてみましょう。
多動性によって授業中にじっと席に座っていることができない子どもは、「45分間の授業中、席に着いていることもできないダメな子だ」と問題児というレッテルを貼られます。学校で頼るべき先生から「なぜ静かに席に座っていられないのか」と否定され、世界で一番大好きな親に「どうして先生の言うことが聞けないの」とがっかりされ、クラスメートからは蔑まれる。そんな学校生活が自分の世界のほぼすべてだったとしたらどうでしょう。
自分にとって難易度の高いルールを守ることを強要されて毎日を送らなければならないのは、大きなストレスになります。
ADHDの子どもは、好きこのんで教室からの脱走をくり返しているわけではありません。多動性や衝動性というADHDの特性のために、そうせざるをえないのです。
日本社会は、異質な人を排除しようとする傾向があります。学校では、周りの同級生が難なくできることができないということにばかり焦点が当てられ、すばらしい才能に気づかれることなく、問題児扱いされてしまいます。また、自分を否定され続けた結果、子どもの自己イメージは下がり、自尊感情が損なわれます。場合によっては、いじめの対象になってしまうこともあります。
そうなると、学校に行くことがつらくなり、不登校になって引きこもってしまうということになりかねません。高校や大学への進学でつまずくと、その後の就職にも影響し、将来的に社会の中で生きていくことが難しくなります。
発達障害の子どもたちの人生に暗い影を落とすものがあるとしたら、それは発達障害そのものではありません。発達障害に対する周囲の対応によって引き起こされる二次障害です。
二次障害としては、不眠やパニック、集団への不適応、不安障害、統合失調症、うつ病などが挙げられます。
発達障害の子どもたちを、無理やり「普通」にしようとすると、どうしても無理が生じ、こういった二次障害を起こしやすくなります。二次障害は子どもの生活の質を著しく下げてしまいます。
過去の時代に求められていた人材を育てるための教育システムの中で、これからの時代に求められる能力を持った発達障害の子どもたちが不当な扱いを受けている。それが発達障害の子どもをめぐる今の環境です。
発達障害の子どもたちの持つ能力が発揮され、社会が発展していくためには、多様性が認められる社会でなければなりません。発達障害の子どもの特性を受容し、個性を認める社会となる転換点に私たちはいるのです。
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