(※画像はイメージです/PIXTA)

生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ、「その人らしさ」が現れると年間100人以上を看取る在宅医は語ります。「つらい検査、入院はしたくないし、延命もしたくない」――。89歳女性患者は、痛みも苦しみもまったくないまま、すっと寝ているような穏やかな最期を迎えることができたという。本連載は医師である中村明澄氏の書籍『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

「患者さんを見殺しにする気ですか」看護師の剣幕

人間の体はとても良くできていて、自然に穏やかに亡くなることができるようになっているので、本来であれば、何もしないことがいちばん穏やかに逝けるということになります。

 

ただ、そうは言っても、実際に目の前で何も口にしない大切な人をそのまま見守るのは、心情的に抵抗を感じる方もいらっしゃることと思います。

 

しかし娘さんも、納得されている様子でした。そこで、B美さんの強い思いを尊重して「何もしない」決断をすることにしたのです。

 

B美さんの身体は、死に向かって静かに準備をしているようでした。亡くなっていく際に、せん妄といって、意識がちょっと混乱することもあるのですが、B美さんの場合はそれもなく、痛みも苦しみもまったくないまま、すっと寝ているような穏やかな最期でした。

 

このあと、娘さんから「母の希望を叶えてくださって、本当にありがとうございました」という言葉をいただいて、「ああ、本当に穏やかな最期だった」と、私も自然な形の看取りの穏やかさを身にしみて感じたものです。

 

こうして患者さんご本人とご家族にとっては、納得のいく穏やかな最期になったのですが、実はその老人ホームのスタッフからは反対の声が上がった時期もありました。

 

やはり当時の老人ホームの看護師さんや介護士さんにとっては、「何もしない=よくない」というイメージがあったようで、「何もしないんですか? 点滴もしないなんて、患者さんを見殺しにする気ですか!」とすごい剣幕でぶつかってくる看護師さんもいました。もちろん、患者さんのことを思ってのことです。

 

私は「やれることはたくさんあるから、ご本人の意思を一緒に精一杯支えましょうよ」という話をしました。点滴をすることだけが患者さんのためにできることではなく、快適な室温を保ったり、好きな音楽をかけたりするのも、大切なケアだからです。

 

当時、私自身の経験がまだ浅かった時期でしたから、医学的に正しいとわかっていても、迷いがなかったわけではありません。でも患者さんがはっきりとしたポリシーをお持ちだったからこそ、叶えられた自然死であり平穏死でした。

 

人生の終わり方にも、自分らしいプランを持っていたB美さん。自分の逝き方は積極的に選んでいい。そうした看取りをサポートしていこうと、強く背中を押された気がしています。

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

「在宅死」という選択~納得できる最期のために

中村 明澄

大和書房

コロナ禍を経て、人と人とのつながり方や死生観について、あらためて考えを巡らせている方も多いでしょう。 実際、病院では面会がほとんどできないため、自宅療養を希望する人が増えているという。 本書は、在宅医が終末期の…

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