本記事では、ミュージカル映画のダンス研究を続ける医師の元来渉氏の書籍『踊る大ハリウッド』より一部を抜粋・編集し、数あるヒット作を支えた俳優・ダンサー「ジーン・ケリー」の魅力に迫ります。

「ドナルド・オコナー」キャスティングの背景

ジーンら四人はこの配役に反対し、代わりにユニバーサルのドナルド・オコナーを推薦した。一九二五年にシカゴで芸人一家に生まれたオコナーは、一九三七年に端役で映画に出演したのを皮切りに、映画界とヴォードヴィルの間を行き来した。

 

四十二年にユニバーサルと契約した彼は、十代のダンスグループ“ジャイヴィング・ジャックス・アンド・ジルズ”の一員として本格的に映画界にデビューする。

 

ここでアイドル的人気を得たオコナーは、兵役や舞台への復帰をはさんで一九四七年にスクリーンへ戻った。以後彼は、主役をはれるコメディアンとして多くのコメディー映画やミュージカルに出演していく。

 

殊に一九五〇年からは、喋るラバ、フランシス・シリーズ(後のテレビシリーズ「ミスター・エド」の原型)に主演し、大衆的な人気を不動のものにした。

 

またテレビでも「コルゲート・コメディー・アワー」のホストの一人を一九五一年から務めるなど活躍し、歌に踊りに演技にと、その多彩な才能を賞賛されるようになった。

 

しかしユニバーサルには新時代に即した一級のミュージカル映画を製作するだけの力がなく、オコナーにとってはさらに一段階の飛躍を遂げる舞台が必要な時期にさしかかっていた。

デビー・レイノルズが恋人役に大抜擢されたワケ

ジーンの恋人キャシー・セルダン役には、スタジオ所属のデビー・レイノルズが選ばれた。一九三二年にテキサスのエルパソで生まれたレイノルズは、後に一家でカリフォルニアのバーバンクへ移り住む。

 

十六歳でミス・バーバンクに選ばれた彼女は、間もなくワーナーブラザーズと契約するが、二本の映画に端役で出演しただけでMGMへ移籍。

 

フレッド・アステア主演の「土曜は貴方に」(’50)に顔を出した後、「ツー・ウイークス・ウイズ・ラブ」(’50)でジェーン・パウエルの妹役を務めた。

 

この映画で彼女が歌った“アバ・ダバ・ハネムーン”がそこそこのヒット曲となり、映画の宣伝公演ではかなりのファンが集まったという。

 

しかし女優としてのキャリアに乏しく、ダンスの経験も基礎的なステップを一年間習ったにすぎなかった。そんな彼女がジーンの相手役として抜擢されたのは、スターを作りたいルイ・B・メイヤーの意向が大きかったと言われている。

 

レイノルズの記憶によると、一九五一年の春メイヤーのオフィスに呼ばれた彼女は、“雨に唄えば”と言う作品でジーン・ケリーと共演するようにと告げられる。

 

ジーンもすぐにその場に呼ばれた。

「マキシー・フォードはできる?」回答にジーン驚愕

「……メイヤーさんが彼に言ったの。私が相手役だってね。彼は立ち上がると驚いたって言ったけど、全然喜んでるようじゃなかった。だって私のことなんか聞いたことがなかったのよ。

 

“それで彼女はどんな実績があるんですか”ってジーンがメイヤーさんに聞いたの。答えは、“何をしたかじゃない。これからが大事なんだ。我々はこの子をスターにしたいんだ”ジーンは見るからに不満そうだった。彼は私に言ったの。

 

“マキシー・フォードはできるかい?”私はポカンとしながら彼の顔を見て言ったの。“それってどんな車ですか?”まあこれで彼は面白がっちゃったのよ。“タイム・ステップくらいはできるの? タイム・ステップが何だか知ってるかい?”って聞かれたの。“ハイ出来ます”って答えて、ちょっと踊って見せたの。

 

まあジーンはまだ納得はしてないみたいだったけど、メイヤーさんの言葉は絶対だから。で結局私を押し付けられちゃったわけ」

 

もっともこれについてはジーンの側から正反対の話が出てくる。ジーンとドーネンは“アバ・ダバ・ハネムーン”を聞いて以来、彼女がキャシー役に最適だと考えていたというのだ。

 

またキャスリン・グレイスンをはじめ数人の女優が候補に挙がったものの、年齢やイメージなど総合的な面でレイノルズに決まったというのも事実である。ドンの相手役でスターのレナ・ラモントについて、コムデンとグリーンは旧知のジュディ・ホリデイを念頭に置いて執筆をしていた。

 

しかし当時のホリデイはすでにこの役を引き受けるには大物になりすぎていた。「巴里のアメリカ人」に引き続きニナ・フォッシュの起用も考えられたが、スクリーンテストの結果、この役は彼女に合わないことがわかった。

 

最終的に選ばれたのはMGM契約下の女優、ジーン・ヘイゲンだった。一九二三年にシカゴで生まれたヘイゲンは、十二歳の時一家でインディアナ州に移り住む。

 

大学で演劇と音楽を専攻した彼女は、卒業後ニューヨークへ向かい、舞台女優を目指した。ブロードウェイを経て一九四九年から映画に出演するようになった彼女は、大きな役に恵まれなかったものの、ジョン・ヒューストンの傑作フィルムノワール「アスファルト・ジャングル」(’50)では、スターリング・ヘイドンの愛人役を演じ注目を浴びている。

 

スターとして観客が納得するだけの美貌とコメディエンヌとしての可笑しさを併せ持ち、レナ役にはピッタリの女優だった。

 

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元来 渉
1953年、埼玉県生まれ、医師。1990年代末より、ミュージカル映画のダンスに魅せられ、研究を続ける。 2006年より2011年の間、ブログ「踊る大ハリウッド」および「踊る大ハリウッド Strikes Back」において、ミュージカル・スターの身体やダンスを中心に据えた解説、評伝を発表。

 

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『踊る大ハリウッド』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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