高い経済効果を期待されつつも、コロナの影響で開催に懸念事項が残る今回の東京オリンピック。1964年の、日本の成長と発展を世界に印象付けた東京オリンピックとは、その効果も意義も、まったく異なるものとなるでしょう。かつての東京オリンピックの成功と、その後の不況を乗り越えての経済発展は「物流」の力なくしては実現しませんでした。しかし、そこに至るまでにはシステムの大転換を迫られるなど、苦難の連続があったのです。

オリンピック後…日本の物流を救った「欧米」の仕組み

1965年、東京オリンピック開催による好景気の反動から、日本経済は不況に見舞われ、企業の倒産が相次ぎました。

 

戦後最大規模となる500億円の負債を抱えて倒産した山陽特殊製鋼株式会社や、経営危機に陥った山一証券株式会社に対する日銀の異例の特別融資など、不況の影響はそこかしこに現れ、物流業界もまた不況風に吹かれました。戦後に免許を受けた通運事業者の大半が赤字経営に転落し、大手路線トラック会社数社が倒産。

 

そんな不況のなか、通運業界では、進行するモータリゼーションに対応すべく、新たな輸送システムの構築が試みられていました。

 

それまで陸上輸送において独占的な地位を占めてきた鉄道貨物輸送ですが、自動車輸送の広がりにより、その地位が徐々に脅かされていました。また、鉄道貨物輸送においても物流の概念が求められるようになりました。

 

1960年代前半まで、鉄道政策は大きく二つの課題を抱えていました。急激な経済成長により増大する物流量に合わせた輸送力の強化と、老朽化が進んだ鉄道設備の刷新です。

 

それらを解決すべく、国鉄は3回にわたって投資計画を策定しました。

 

1957年から61年の「第一次5カ年計画」では、設備の近代化に重きが置かれ、1960年から64年の「第二次5カ年計画」においては、輸送力の拡大を図られました。しかしこれらの計画は、人件費の高騰や東海道新幹線に対する投資の優先などもあり、目立った成果を上げられませんでした。

 

1965年から始まった「第三次長期計画」でも、大都市圏の通勤輸送など旅客輸送の増強がメインとなり、貨物輸送への投資は限られました。それと同時期に行われていたのが、「協同一貫輸送」という新たな輸送システム導入の試みです。

 

協同一貫輸送とは、鉄道とトラック、船とトラックなど、異なる輸送機関を有機的に連結し、輸送全体の効率を高める輸送方式です。コンテナ輸送や、前述の「一貫パレチゼーション」などを用いつつ、互いの輸送手段の特徴を活かして輸送を行います。

 

高い機動力をもつトラックは、鉄道から輸送先まで「ドア・ツー・ドア」の輸送を担当します。当時欧米ではすでに大規模な協同一貫輸送が実施されており、日本の国鉄もそれに倣って物流の合理化を目指しました。

 

1969年4月には、ライバル関係になりつつあった鉄道とトラックの「幸福な結婚」をキャッチフレーズに、コンテナ貨車だけで編成された高速貨物列車が登場。これは1965年からイギリスで展開していた同様のサービスを取り入れたもので、コンテナを活用してトラックと鉄道のあいだで協同一貫輸送を行いました。なお、この高速貨物列車は現在でも日本全国を走り、荷物を運び続けています。

 

 

鈴木朝生

丸共通運株式会社 代表取締役

 

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    ※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

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    鈴木 朝生

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