「テレビ局でカメラマンとしてバリバリ働いていた夫は、突然難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した」……松本しほり氏は書籍『ALSと闘った日々』のなかで、当時の闘病の様子を赤裸々に記しています。

「さいきん転びやすくなった」病院に行った夫

■発病

 

ある日、善一さんが、「今日撮影をしていて、立ち上がろうとしたら転んでしまった。先日も、走っていて横断歩道で転んだ」と言った。

 

私は、「仕事が忙しくて疲れているのよ」と言ったが、心配なので、病院の診察を勧め、善一さんはT病院へ行って診察を受けた。帰ってくると、なんだか怒っている。

 

「1ヵ月検査入院しろ、と言われた。こんなに忙しいのに、1ヵ月なんて休めるわけがない」

 

そこで、セカンドオピニオンとして、長崎大学付属病院に行き、診察を受けた。その結果は、T病院とまったく同じ。1ヵ月の検査入院。二つの病院に言われてはしかたがない。なだめすかして、善一さんを長崎大学病院に入院させた。

 

そのとき娘は生後9ヵ月だった。娘にパパを忘れさせないようにと、一日に1、2回お見舞いに行った。何も自覚症状はない。ただ、転びやすくなった、ということだけだった。

 

不安はなかった。検査入院はきついものである。検査入院中、善一さんはずいぶん痩せた。結婚してから10kgも太ってしまい、人相まで変わってしまうくらいだったから、ちょっとくらい痩せても大丈夫、と思っていた。

 

1ヵ月後、検査結果が知らされる日が来た。島原から善一さんのお父さんが来た。島原は、有明海を挟んで熊本の対岸にある。同じ長崎県でも、車を運転しない義父にとっては遠い道のりだ。

 

医者は、私ではなく、お父さんだけを呼び出し、結果を報告した。医者のところから帰ってきた義父は、何かひどく落ち込んだ様子だった。何を言われたんですか? どうして、妻である私じゃなくお父さんに報告したのだろう。私はだんだん混乱してきていた。

 

義父によると、善一さんはSPMAという病気であり、今の症状は改善こそしないが、進行もしないということだった。

 

SPMA、どんな病気なのだろう。聞いたこともなかった。そして、この結果を聞いた善一さんは、泣いた。足がひどく弱っていることを自覚していたのではないかと、今にして思う。

 

そして、それが改善することがない、と医者に断言されてしまった。そして、退院。昭和60年11月だった。

 

退院して数日後、リハビリ研究が進んでいると聞いた国立療養所長崎病院に行き、H先生に相談して、理学療法士の先生から簡単なリハビリのやり方を教えてもらった。

 

その二日後、私の実家の母に勧められた漢方薬を扱う整形外科のある個人病院へ行った。首の骨のレントゲンを撮ったりしたが、別に異常もないことがわかり、大学の診断の通りであろうということだった。ただ、大学病院ではくれなかった薬をもらい、とにかく飲んでみる価値のある薬があることだけでも私たちは喜んだ。そして、しばらくその整形外科に通うことになる。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『ALSと闘った日々』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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