コロナ禍で私たちの暮らしに多くの制約が生じるなか、日常を支える「物流」の重要性が再認識されています。人々の豊かで安定的な生活は、物流によって支えられ、維持されてきたといえます。本記事では、日本の経済発展の歴史と常に並走してきた、物流の歴史を紐解いていきます。

空襲の間ですら途切れなかった「日本の物流」

太平洋戦争の開戦から半年、日本は圧倒的に有利で、太平洋の島々から東南アジアに至る一帯で勝利しました。しかしその後1942年あたりから、アメリカが本格的に反撃を開始すると、日本は徐々に劣勢となっていきます。

 

決定的だったのは、日本が占領したサイパン島を、アメリカが奪還したことでした。それによりアメリカ軍は、日本本土への空襲を可能にする拠点を得たのです。

 

1944年の暮れから、アメリカ軍のB29爆撃機が日本の上空を飛び、本土空襲が始まりました。1945年3月には、東京大空襲により一夜で東京の約4割が焼失。地方都市も空襲を受けるようになり、日本の主要都市はすべて焦土と化しました。

 

そんななかでも、軍需輸送だけは休みなく続けられました。資材不足を補うべく、エンジンのない三輪車を馬に引かせたり、薪炭を燃料とした木炭車を稼働させたりと、必死の努力が続きました。戦火を逃れた国内のあらゆるトラックや車、はては馬までも徴収され、輸送隊へと送り込まれました。

 

「物資を途絶えさせるな!」

「国の未来がかかっている、必ず送り届けよ!」

 

空襲の間ですら、日本の物流は途絶えることはなく、命をかけて物資を運んでいた運送事業者がいたのです。

 

鉄道省は全国すべての小運送業者を日本通運に合併し、総力戦で輸送網を支えようとしました。しかし戦火の真っただ中にあって、いくら声明を発表しても、それと真剣に向き合う余裕のある小運送業者などほとんどおらず、合併は遅々として進みませんでした。

 

それに業を煮やした政府は、8月6日、従来鉄道大臣の権限であった「免許の全部若しくは一部の取消又は事業の全部又は一部の停止の職権、譲渡、合併、解散の決議認可の権限」(陸運統制令第一4条・15条)を鉄道局長に委任する運輸省(現・国土交通省)命令を公布し、その強権を発動してあらゆる小運送業者を日本通運に吸収合併する「第三次統合」が行われました。日本通運が合併した業者数は1600、買収した業者数は1173に及びます。

 

そして、1945年8月15日、正午。

 

ラジオから「終戦の詔勅」が流れ、国民が泣き崩れたその瞬間、新たな時代が産声を上げていたというのは、今だからこそいえることかもしれません。

 

終戦をきっかけに、日本は民主主義国家への道を歩み始めます。そんな日本と歩調を合わせ、物流業界もまた、新たな時代へと向かっていくことになります。

 

 

鈴木朝生

丸共通運株式会社 代表取締役

 

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※本連載は、鈴木朝生氏の著書『物流の矜持』(幻冬舎MC)より抜粋・再編集したものです。

物流の矜持

物流の矜持

鈴木 朝生

幻冬舎

大正3年、まだ大八車や馬車が物流の主な手段だった時代から、地域とともに歩み、発展を遂げてきた丸共通運。その歴史から、物流業界の変遷、日本の発展を振り返る。 丸共通運は大正3年に創業し、まだ大八車や馬車が物流の主…

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