精神分析医の堀口尚夫氏は書籍『天才の軌跡』の中で、フロイトの生い立ちを語りながら、独自の見解を述べている。

フロイトは子供たちの中でも特別扱いを受けていた

一九一七年にフロイトは、ゲーテの『詩と真実』の一部を分析しているが、その中で、ゲーテがあらゆる皿を家から持ち出してたたき割るエピソードを取り上げて、弟妹に対する憎しみを示していると解釈している。

 

フロイトがゲーテを敬愛していたのはよく知られており、晩年ゲーテ賞をフランクフルト市から授与(一九三〇年)されたことを生涯の名誉としていたが、フロイト自身をゲーテと同一視していたのも明らかで、死亡した弟を憎んでおり、すぐ次の妹アンナとも仲が悪かったようである。

 

また、ゲーテが母親からかわいがられていた事実と、フロイトが母親からかわいがられていた事実も彼の同一視を助けていると思われる。フロイトが子供たちの中で特別扱いを受けていたのは、一家がウィーンに住んでいた時、フロイトだけが一室を与えられ、他の子供たちは自身の部屋を持っていなかったことや、妹のアンナがピアノを習いはじめた時、フロイトがうるさくて勉強ができないと言うと、ピアノは家から運び出されてしまったなどというエピソードからもうかがえる。

 

当時のフライバーグの写真や絵を見ると、樹が多く、田園と森にかこまれた、なだらかな山を背景に持つ町であったらしい。そしてヨーロッパの都市の例に漏れず、町の中心には教会の尖塔がそびえている。

 

彼が七十五才の時に、フライバーグ市長に宛てた手紙の中で彼は「私の心のひそみには、今でもフライバーグから来た幸せに満ちた子供が生きているのです。若い母親の第一番目の息子(フロイト自身のこと)はこの土地の空気、土から消すことのできない印象を受けたのです」と書いている。

 

彼は母親からかわいがられていただけでなく、前記のチェコ人の子守りからも非常にかわいがられていたらしく、彼女がフロイト家から金を盗んだ容疑で逮捕され、フロイト家からいなくなったこと(フロイトが二才半の頃)は彼の心の中に強い印象を与えたことを、後に自己分析の中で明らかにしている。

 

フロイトの父、ジェイコブはフロイトが生まれた時すでに孫がおり、四十才であった。彼は残されている写真に見られるように豊かなヒゲをたくわえ、いかめしい顔をしているが、フロイト自身の記述によると、父は「親切な、情愛のこもった寛容で平均以上の知能を持った」人であったようだ。このような父を持ったフロイトが、エディプス・コンプレックスを発見したのは興味深いことである。

 

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本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『天才の軌跡』より一部を抜粋したものです。最新の税制・法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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