物質的に満足し、多くの人が幸福を感じられるようになった現在の日本ですが、問題が2点あります。まずは「経済的覇権で国の序列は決まる」という価値観に縛られた、停滞を悪しきものとする風潮。そして、ビジネスが社会的使命を終えてしまったことです。ここではこれらの背景について解説します。※本連載は山口周著『ビジネスの未来』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。

「ビジネスの歴史的使命の終了」という意味

今日の先進国では、生存を脅かされることのない物質的生活基盤の整備という、人類が長らく抱えてきた課題が、ほぼ解消されています。これはもちろん人類にとって祝祭すべき状況なのですが、一方で困った問題も起きます。それは「ビジネスの歴史的使命の終了」という問題です。どういうことでしょうか。

 

我が国の家電産業を代表する企業であるパナソニック(旧・松下電器産業)の創業者である松下幸之助は、松下電器の創業にあたり、その使命を次のように定めています。

 

生産者の使命は貴重なる生活物資を、水道の水のごとく無尽蔵たらしめることである。いかに貴重なるものでも量を多くして、無代に等しい価格をもって提供することにある。かくしてこそ、貧は除かれていく。貧より生ずるあらゆる悩みは除かれていく。生活の煩悶も極度に縮小されていく。物資を中心として楽園に、宗教の力による精神的安心が加わって人生は完成する。ここだ、われわれの真の経営は。

 

よく知られる「水道哲学」のマニフェストです。松下幸之助はこのマニフェストにおいて、「生産者の使命」は「生活物資を無尽蔵に提供して貧を除くことだ」と宣言しています。ということは、8~9割の人々が物質的に満足してしまっている現在の日本において、パナソニックはその社会的使命を達成し終えた、ということになります。

 

私たち日本人は太平洋戦争後の灰燼に帰した国土から、西欧の国々が数百年かけて構築した文明世界を半世紀と経たずに構築することに成功し、世界中の国々から「奇跡のようだ」と賞賛されました。その結果として、松下幸之助翁が使命として定めた「豊潤なる生活物資の提供によって貧を縮小していく」ことが我が国においてはほぼ達成されたわけです。

 

これはなにも日本に限った状況ではありません。さまざまな統計データが示す通り、21世紀の先進国に生きる人々の大多数はすでに物質的不満を抱えずに生きることができるようになっており、その必然的結果として「消費の非物質化」とでも表現するべき変化が起きています。

 

たとえばミシガン大学の政治学教授、ロナルド・イングルハートは、先述した「世界価値観調査」の詳細な分析結果に基づき、私たち先進国の社会が、かつてのように、経済成長と所得上昇が何よりも優先された「近代社会」から、生活の質や幸福実感がより優先される「ポスト近代社会」へとすでにシフトしていると主張しています。私たちはまさに「文明化が終了した時代」を生きているのです。

 

しかし一方で、「物質的欲求に関する不満の解消」は、そのまま「市場における需要の縮小」を意味しますから、ビジネスにとっては大変困ったことが起きているということになります。というのも、現在の社会システムは「無限の成長」を前提にして構築されているので、物質的需要が伸長しない「高原状態」とはとてもソリが悪いのです。

 

人類の宿願ともいえる夢のような状況が目の前に顕現しつつある。これは人類全体が成し遂げた偉大な成果なのに、その状況を私たちは手を取り合って祝祭することができません。いやそれどころか、むしろ逆にあらゆる組織の頂上から末端まで「売上・利益が伸びない」「株価が上がらない」「成長機会が見つからない」「新規事業が立ち上がらない」と眉間に苦渋のシワを寄せて煩悶している人ばかりです。

 

これはつまり、私たちの多くが関わっている「無限の成長を求めるビジネス」というゲームには、本質的な破綻、ゲーム終了時に爆発する時限爆弾が内蔵されているということです。なぜならこの営みは「使命」を設定することを強く求めながら「使命の達成」を喜ぶことができないからです。

 

歴史的使命がすでに終了しているにもかかわらず、あたかもそれを終了していないかのように振る舞っていらぬ混乱を世の中に巻き起こしてなんとか「使命終了の延命」を図っている。これが多くの企業が「マーケティング」と称して行っていることでしょう。ここにも冒頭に指摘したブリッジズの「終焉の受容の問題」が浮かび上がってきます。

 

しかし、その営みに関わっている多くの人は、すでにその欺瞞に気づいてしまっています。意味も意義も感じられない営みに駆り立てられて高い目標を達成せよと圧力をかけられた人は、精神的に壊れてしまいます。

 

 

山口周

ライプニッツ 代表

 

 

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ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

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山口 周

プレジデント社

ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか? 21世紀を生きる私たちの課せられた仕事は、過去のノスタルジーに引きずられて終了しつつある「経済成長」というゲームに不毛な延命・蘇生措置を施すことではない…

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