「お前みたいなやつは世間で通用しない」
さて、話を戻すと、彼は突然の訪問にきっとびっくりし、いつもの無意識な笑いで思わず私を部屋の中に入れてくれたのだと思います。
私は、「なんで休んだのか」と問い詰めませんでした。スタッフからだいたい情報をつかんでいたからです。事の発端は、彼がある女子と仲良く話しているのをほかの女子が冷やかしたことでした。
それが噂になり、彼のことを皆でヒソヒソと話をしているから、もう皆の顔を見たくないということでした。まるで小学生です。医者になるために、また、医学部に入学するために、予備校に来たのだという意志は全く感じられません。
私は、彼の顔を見ながら、いつものように、この子の親を想像しました。固定観念が強く厳しい父親と、その夫に追従しているが息子を溺愛している母親の姿です。彼と世間話をしながら、徐々に彼の心をほぐすようにその生い立ちを話させると、やはり想像どおりの親でした。
彼の頭の中では、父親からは厳しさだけを感じ、母親は優しいけれど、しつこさだけが残っているという状態でした。結果論かもしれませんが、父親のいわば愛のない厳しさは冷血放任主義であり、母親の優しさとしつこさは溺愛過保護主義であって、どちらも子供の教育にはマイナスのものです。
具体的に言うと、父親は息子の成長過程を無視した発言を繰り返す人でした。
「お前みたいなやつは世間で通用しない」
親であるあなたも通用しない時期があったでしょう。なぜ現在の自分と比較するのですか?「意志の弱いやつだ」親であるあなたは最初から強かったのですか? いろいろな成長過程があったから、強くなったのではないでしょうか?
「お前の従弟の何々君は〇大学(必ず一流大学)に入ったぞ!」
比較して評価すること自体、完全な間違いで、言ってはならないことです。差別主義を植え付けるだけでなく、上には上があることも強調されるので、どこまでやっても劣等感を持つ大人に育つ可能性があるのです。
そうではなくて、「どこの大学がお前に合っているか、一度、お父さんと見に行こうか」くらいは父親として努力してもいいはずです。それが愛のある姿なのです。根底に愛を感じてこそ真の厳しさとなるのです。間違ってもその時の気分で怒ってはいけません。怒れば、冷血放任主義のそしりを免れません。
父親も母親も、子供と正面から向き合っていない。本当につらいことです。でも、このようなことが何と多くあることでしょうか。
長澤 潔志
医学部専門予備校・TMPS医学館代表取締役
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