こんな人材が日本にも欲しかった。オードリー・タン。2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担い、世界のメディアがいま、最も注目するデジタルテクノロジー界の異才が、コロナ対策成功の秘密、デジタルと民主主義、デジタルと教育、AIとイノベーション、そして日本へのメッセージを語る。本連載はオードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋し、再編集したものです。

文才があれば、プログラムをうまく書ける理由

私がこのようなアート的な感覚、あるいはアート教育を重視するのは、既存の可能性にとらわれないようにするためです。アートとは、自分の見た未来のある部分を他の人に見せることで、それにより未来の可能性を開こうとするものです。

 

仮に、サイエンスとテクノロジーしか学んでいなければ、学んだ内容は誰もが同じになってしまいます。これでは標準的な答えを暗記しているにすぎません。その意味で、サイエンスとテクノロジーのみで社会の構造的な問題を変えようとするのは、極めて難しいのです。

 

サイエンスとテクノロジーは、「既存のプロセスを最適化する」とか「最適化の速度を上げる」とか「より低コストで実行できるようにする」といった部分には貢献するでしょう。しかしながら、直面した問題が非常に大きかったり、複雑だったり、たとえば気候変動のような問題に対処する場合に、サイエンスやテクノロジーのような直線的な思考だけで問題を解決することは、不可能です。

 

そうしたときに、既存の枠から飛び出すことや、創造力を発揮することが非常に重要になります。そんな創造力を培うために、美意識とかアート思考、デザイン思考といったものが重要になってくるのではないか、と実感しています。

 

さらに、文学的素養も大切です。

 

私が非常に尊敬するプログラマーの先輩がいます。その人は「プログラムをどれだけ上手に書けるかどうかは、母国語の運用能力がどれだけ優れているかにかかっている」「文才があればあるほど、プログラムがうまく書ける」と断言していました。理想的なプログラムを書き上げるためには、頭の中にある概念を文字に変換していかなければいけません。これは文学と同じです。プログラミングのコードと、文学における韻を踏むことが異なるだけです。

 

ゲーテは『ファウスト』のような大きな戯曲を書き上げましたが、一つひとつの文章を見れば、長編詩やオペラのように韻が踏まれています。母国語を自在に使いこなせるような人でなければ、『ファウスト』のような大きなプログラムは、書くことができないでしょう。ですから、デジタルの時代になればなるほど、文学的素養は欠かせず、重要性を増すのです。

 

 

 

 

オードリー・タン
台湾デジタル担当政務委員(閣僚)

 

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オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る

オードリー・タン

プレジデント社

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