
宗吉敏彦はリーマンショックに巻き込まれ650億円の負債を抱えて倒産。いったん経済の表舞台から姿を消した。リーマンショックで地獄に堕ちた男はアジアで再起のチャンスをいかに掴んだのか。宗吉とともに躍進するアジア不動産市場の潜在力と今後の可能性を探る。本連載は前野雅弥、富山篤著『アジア不動産で大逆転「クリードの奇跡」』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。
カンボジア経済の成長のエンジンは人口増加
4倍に高騰したプノンペンの自宅
プノンペン国際空港近くの高級マンションプロジェクトでは苦戦した宗吉だったが、カンボジアでの自宅の購入はうまくいった。
購入した家からはメコン川が見える。夏は午前5時半、冬なら午前6時半。メコン川の川面を照らしながら昇る朝日を眺めていると、「やはり日本にとどまっていなくて正解だった。自分には今の生き方が合っている」と宗吉は思うのだった。
カンボジアの粗く挽いた肉のソーセージと野菜をパンに載せ、カンボジアの醤油とライムを垂らす朝食。食べ終わると庭のプールで一泳ぎといった、日本では考えられないような朝の時間を過ごす。
「例えようのない充実感がみなぎってくる」

宗吉がこの家を購入したのは2012年。プノンペンの北東部、メコン川とトンレ・サップ川に挟まれた土地にこの家はある。もともとイタリア人が持っていた家だったが価格は6000万円。ベルギー人が設計した水深2メートルのプール付きの、ヨーロッパの雰囲気とカンボジアのスタイルが混じり合ったこの家の佇まいが気に入り、購入を決めたのだった。
家の敷地の一角に運転手と料理人を住まわせ1カ月4万円。投資家の村上世彰や日本の1部上場企業のトップなど知り合いがカンボジアにやってくると家に呼び寄せ、夜更けまで議論する。
家の価格は買ってから7年も経たないうちに4倍近くの2億円超にまで急騰したが、「収穫期になると数百の実がなるマンゴーの木がとても気に入っている。今は売る気はない」。「何ともいい物件を探し当てた、さすが宗吉」と言いたいところだが、実はそうではない。上昇しているのは宗吉の自宅だけではないのだ。周囲の不動産価格も高騰している。
このところのカンボジアの経済成長率は極めて高い。2015年が7.7%、2016年と2017年はいずれも7.0%だった。
「経済成長は大きくみると人口動態に影響される。基本的に人口が増えている限り、経済は右肩上がり。その時々の為替や経済変動はあるが、結局はこの国では早くからたくさんの土地を持っているヤツが一番儲かる」
カンボジア経済の成長のエンジンは人口増だ。2014~2016年の人口の平均増加率は1.6%でアジアの中でもトップレベル。外国人労働者やインバウンド(訪日外国人)に依存せざるを得ない人口増加率マイナスの日本とは雲泥の差といえる。
当然だ。日本では第2次世界大戦が終わった1945年以降、平和が続いている。しかし、カンボジアは違う。1975年、ポル・ポトがロン・ノル政権を倒すと約3年8カ月の狂気の時代に突入、知識人を中心とした虐殺が続いた。当時の人口600万人のうち100万~300万人が亡くなった。
さらに1978年12月にはベトナム軍がカンボジアに侵攻する。そしてヘン・サムリン政権を樹立。今度はポル・ポトとの内戦が始まる。それは1989年にベトナム軍が撤退する頃まで続いた。そのせいで戦える年齢層の男性の数が一気に減り、平均年齢は24.3歳と日本(47.7歳)に比べると大幅に若い。悲劇ではある。しかし、カンボジア経済にとってはこの若さが成長の原動力だ。
誰もが豊かになることを夢見て、希望を持って生活している。若い人がドンドン結婚して、子どもができ、家を欲しがっている。