「総入れ歯」は介護のときに楽になる
牛肉好きなのは知っているが、いきなりステーキとは。わたしですら入ったことがない。あそこは、大食い男子の行くところではないのか。そこに92歳の妖怪が?
「お母さんが食べている映像撮った?」と、なんでも仕事につなげようとするわたしが聞くと、写真は撮ったと、スマホを見せてくれた。
キャー、エプロンつけて、うれしそうに200グラムのステーキを食べている。しかも、サイドディッシュもご飯も完食だ。
焼肉屋で、わたしと同じ量の焼き肉をぺろりと平らげる母を見なれているが、ステーキ200グラムは、やはり妖怪というしかない。
「ちょっと、こんど、動画を撮ってアップしてみたら。いきなりステーキの看板妖怪になれるかもよ」
弟は賛成も反対もしない。熱しやすく冷めやすいわたしの性格をお見通しだ。
長生きする人が牛肉好きなのは、誰もが知るところだが、しかもここだけの話だが、妖怪は総入れ歯でがんがん食べる。
母の生に対する意欲は半端ではない。100歳までこの調子かしらね。それともどこかでスローダウンするときが来るのかしら。
妖怪、総入れ歯で噛みちぎる
妖怪は若い時から歯医者に縁がなく、信用していた歯医者に歯を抜かれて60代で総入れ歯になったそうだ。その歯医者を今でも恨んでいる。
しかも、その総入れ歯が合わず、いい歯医者と聞けば訪ね歩いたが、なかなかいい先生に出会えずに大変苦労したそうだ。
そしてついに、数年前、友人から紹介された目黒の歯医者さんと出会い、ステーキを噛みきれる歯を取り戻したのだ。だから、目黒の歯医者さんは、妖怪の恩人なのである。
わたしが妖怪の歯が総入れ歯だと知ったのは、つい最近のことだ。固いフランスパンでも、おせんべいでも、ふつうに食べていたので知ったときは驚いた。総入れ歯でも医者の腕がよければ、ステーキもなんなく噛み切れるのだと知った。
自らも90代の母を持つという歯医者さん(女医)は、わたしに言った。
「お母さんは総入れ歯なのでよかったわね。介護になったときは、あなたは楽よ」
「えっ」
言われたときは意味がわからなかったが、説明を聞いて納得した。介護になったときに一番大変なのは口腔ケア。自分の歯があると掃除が大変な上に、誤嚥性肺炎になりやすいらしい。しかし、総入れ歯ならいつも口の中をきれいにしておけるので、肺炎になることもないということだ。
松原 惇子
作家
NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク 代表理事
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