
宗吉敏彦はリーマンショックに巻き込まれ650億円の負債を抱えて倒産。いったん経済の表舞台から姿を消した。リーマンショックで地獄に堕ちた男はアジアで再起のチャンスをいかに掴んだのか。宗吉とともに躍進するアジア不動産市場の潜在力と今後の可能性を探る。本連載は前野雅弥、富山篤著『アジア不動産で大逆転「クリードの奇跡」』(プレジデント社)の一部を抜粋し、編集したものです。
村上世彰「ガツーンと行きなよ。ガツーンと」
アジアにはチャンスが唸っている
2011年、宗吉(敏彦)はシンガポールにいた。「もはや日本には未練はない」。東京から自宅を移し永住権を取得、ゴルフと読書の日々を送っていた。
当時、宗吉がぼんやりと狙いを定めていたのがマレーシア。ジョホール州で道路や下水道などインフラを整備、東京都とほぼ同じ面積の広大な土地を開発する「イスカンダル計画」が動き始め約5年が経過していた。
「一敗地にまみれた日本ではまだ信用はない。しかし新天地のマレーシアなら法的整理をした会社だとか、過去のことなんか、気にする奴らもいない」。そう感じていた宗吉は、マレーシアの政府が進める巨大プロジェクトに目をつけた。国家プロジェクトなら必ずインフラ整備は進む。そうなれば不動産価値は上がるはず。周辺で2億~3億円を投じ、2ヘクタール程度の土地を取得、宅地開発を画策していた。

たまたまディナーを共にしていた旧知の仲の投資家、村上世彰にそれを伝えると、村上は間髪入れずにこう言った。
「チマチマやってないで、ガツーンと行きなよ。ガツーンと」
村上の言葉に後押しされたわけではないが、宗吉は「ガツーン」と行った。地場の大手不動産会社が高所得者向けに展開していた住宅開発で一気に攻めた。最初は49%、契約条件に従って買い上がり、最後はプロジェクトを100%手中に収めた。
大きく資金を投じ大きく勝負する——。しかし、高所得者や投資家の市場の層は意外に薄かった。販売は思ったようなペースでは進まなかった。
そして2015年のチャイナショック。円が切り上がった。円安時代に多額の資金を投じて取得していた不動産の価値が、円ベースで一気に目減りしてしまった。他の2つの案件を含め、マレーシアのプロジェクトの採算そのもので損が出たわけではなかったが、大きな為替差損が宗吉の手元に残った。
「これじゃダメだ」。方針を180度転換する。「アジアに出てきたのは、人口増加率と経済利益率に着目したからだ。中進国の罠に陥っているマレーシアで、高所得者や投資家向けマーケットを狙ってビジネスをやっていても意味がない。狙うターゲットは分厚くこれから成長する低・中所得者層に絞り込んだ方がいい」
宗吉はビジネスのやり方を根本的に見直した。できるだけ為替の影響を受けないよう投じる資金を絞り込み「1の金で10のプロジェクトを回す」。そのためにプロジェクトにはガッチリ噛み、土地の仕入れから商品設計、販売までもすべて手づくりで仕上げるやり方に切り替えた。