灘高→東大理Ⅲ→東大医学部卒。それは、日本の偏差値トップの子どもだけが許された、誰もがうらやむ超・エリートコースである。しかし、東大医学部卒の医師が、名医や素晴らしい研究者となり、成功した人生を歩むとは限らないのも事実。自らが灘高、東大医学部卒業した精神科医の和田秀樹氏と、医療問題を抉り続ける気鋭の医療ジャーナリストの鳥集徹氏が「東大医学部」について語る。本連載は和田秀樹・鳥集徹著『東大医学部』(ブックマン社)から一部を抜粋し、再編集したものです。

大学病院よりも一般病院での研修をする研修医が増えた

「新臨床研修制度」がもたらしたものとは?

 

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鳥集 2004年には、「新臨床研修制度」が導入されました。この制度が導入された背景には、1990年代以降、医局人事を握る教授への賄賂や権威主義を背景にした医療事故の隠蔽などが、メディアの告発によって表沙汰となったこともあります。

 

また、1998年に関西医科大学で月額6万円の奨学金と、1回あたり1万円の宿直手当だけで土日も休みなく働かされていた研修医が、急性心筋梗塞で過労死するという事件が起きたことで、大学病院における若い研修医の奴隷のような働かせ方が社会問題となりました。これも、「新臨床研修制度」導入の後押しになったと言われています。

 

和田 もう一つは、当時、『ブラックジャックによろしく』*という漫画作品がベストセラーとなったことも影響していると思いますね。妻夫木聡さんが主演でドラマ化もされて人気を博しました。その漫画がヒットしていた頃、私は、「大学病院の今後のあり方」といったテーマのシンポジウムに登壇したことがあったのですが、同じシンポジウムに登壇していた厚生省(当時)の役人が、『ブラックジャックによろしく』を取り上げて、「今は情報化社会です。大学の名前にあぐらをかいて、何をやってもいいわけではない」という話をしたのです。ようやく厚生省が重い腰を上げたのかと驚いた記憶があります。

 

『ブラックジャック~』の舞台は大学病院で、主人公は研修医です。大学の医局の医者が、いかに臨床ができなくて実験ばかりに手を出しているか、たとえば教授はミミズの解剖はしたことがあるけれど、人間の解剖はしたことがなくて、助教授がいつも尻拭いをしているというようなリアルなエピソードがたくさん出てくるのです。あの作品は、一般市民に、大学の医局の実態とともに、病気を診るが人間を診ない、診られない医師がたくさんいることを知らしめたことになります。

 

◆『ブラック・ジャックによろしく』
佐藤秀峰著、2002年、講談社刊。主人公は超一流私大附属病院に勤務する1年目研修医。理想とかけ離れた日本の医療の矛盾に苦悩しつつ、病院・医師ごとの技術レベルの違い、終末期医療と医療費問題、研修医のアルバイト問題、がん治療と緩和ケアなど、現在の大学病院のさまざまな問題に直面しながら、一人前の医師へと成長していく物語。連載早々大反響を巻き起こした衝撃の医療ドラマ。

 

「新臨床研修医制度」は医局講座制の悪しき慣習を一掃する形で制度設計されたはずだったが…。(※写真はイメージです/PIXTA)
「新臨床研修医制度」は医局講座制の悪しき慣習を一掃する形で制度設計されたはずだったが…。(※写真はイメージです/PIXTA)

 

鳥集 「新臨床研修医制度」は、こうした医局講座制の悪しき慣習を一掃する形で制度設計されたと聞いています。変革の目玉は3つありました。

 

最大の目玉は、2年以上の臨床研修が必修化されたことです。いわゆる専門バカを生む徒弟制度を改めて、新米医師全員にまともな臨床教育を受けさせるようにしたのです。この初期研修を終えなければ、医師は事実上臨床に従事することができなくなりました。また、この期間は研修に集中してもらうため、アルバイトは原則禁止とし、研修医が生活するのに十分な給料を病院が支払うように決められたのです。

 

2つ目の目玉は、アメリカで行われている「スーパーローテート」という研修方式を採り入れたことです。初期研修医たちは、この方式によって2年の間に内科や外科だけでなく、救急、地域医療、小児科、産婦人科、精神科などを6ヵ月から1ヵ月単位でくまなく回ることも義務づけられました。これ以上、専門バカを量産させないようにするためです。

 

3つ目の目玉は、研修病院の選択に、「マッチング」という方式を採り入れたところです。医学生たちは6年になると、病院の面接や試験を受けて、研修先の希望順位を、厚労省の下にある機関〈医師臨床研修マッチング協会〉に提出することになりました。一方、病院側も採用したい学生の希望順位を協議会に提出します。それをコンピューターにかけて、順位の高いもの同士を優先して研修先を決められるようになりました。

 

和田 この制度によって、何が変わったかといえば、大学病院での研修よりも一般病院での研修を希望する研修医が増えたことです。医局が手薄になった大学病院が続出しています。そのため、この制度を批判する教授も少なくありません。

 

たとえば、岩手医科大学の学長(当時)の小川彰氏もそうです。

 

要するに岩手だとか山形、秋田など、過疎地と呼ばれる地域の大学にも、昨今の医学部人気によって東京の進学校からたくさん生徒が進学してきていた。彼らは、その生徒たちがいずれ自分の大学病院で働いてくれるものと思って大事に育てていた。しかし、このマッチング制によって、ほとんど東京に帰ってしまう。それで、田舎の医者不足が深刻になった。過疎地の病院を追い込むようなこの制度を廃止しろと政府に要望書を提出したのです。

 

鳥集 確かにこの制度が実施される前までは、医学部を卒業した後、約7割が自分の大学の医局に入局していました。しかしこれにより、半数以上の研修医が自分の大学以外の臨床研修病院に集まるようになりました。このマッチング結果は、「医師臨床研修マッチング協議会」のHPで誰でも見ることができます。

 

和田 だから、岩手医科大学の要望は一見、正論に見えるかもしれません。しかしちゃんと調べてみると驚くべきことがわかったのです。岩手県全体では、臨床研修が必修化された結果、臨床研修に訪れる研修医が倍近くまで増えていたのです。

 

岩手医大と同じ盛岡市にある岩手県立中央病院には、定員19名のところ、平成25年度の研修第一希望者は25名でした。岩手県立中央病院は臨床を一生懸命やる病院として、研修医の間でもよく知られていたからです。つまり、岩手医科大学附属病院に研修医が3人しか集まらなかったのは研修医が東京に行ってしまうことが理由ではなく、すぐ近くの県立病院に行っていたからなのです。実際、東京都の研修医はこの制度が採用されてから2割も減りました。厚労省が発表しているデータを見ればすぐにわかる嘘を言う小川氏も小川氏なら、調べもしないで小川氏の要望を擁護する大新聞の記者たちの無能ぶりもよくわかる話ですが。

 

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