AIの存在が問いかける「人類の生きる道」とは
科学を理解したからといって、それで「物事のすべてを理解した」という傲慢さを持ってはいけないのです。さらに言えば、短期的な利益にとらわれて大きなリスクとなるような冒険をしてはならないのです。「次の世代にリスクを残すかどうか」を賭けの対象にして、わずかばかりの利益を得ようとするのは、あまりにも馬鹿げているように見えます。
原子力エネルギーの研究者たちは、原子炉で使用済みになった核廃棄物を発電用のエネルギーに転換し、ロスを少なくするための研究に非常に長い時間を費やしています。そうすれば、次世代の原発は、もしかしたら以前ほどの危険性はないのかもしれません。ただ、旧世代の原発が終了した後に生まれる核廃棄物を「いかにして適切な方法で処理して燃料にするか」という研究は、まだ完成に至っていません。
私は、「原子力が絶対に良い、あるいは絶対に悪い」と言っているわけではありません。ただ、人間が謙虚でありさえすれば、今後の原子力の発展は長期的視野に立った良い方向に向かうのではないかと思っています。それと同様に、科学技術や原子力のエンジニアは、社会にとってよりリスクの少ない方法を考えなければならないと思っています。これはAIによる2045年のシンギュラリティを考える際にも同じことが言えるでしょう。
AIが人間を超えることが良いか悪いかを問うこと、それは地球の温暖化によってあらゆる場所で山火事が起こり、海面が上昇して都市が水没し、地球上で現在のような生活方式では生きていけなくなったとすれば、それは良いことか悪いことかと聞くようなものです。
あるいは、核戦争が起きて大気圏全体が放射能で覆われて、ゴキブリ以外は生きていくことができなくなったとすれば、それが良いことか悪いことなのか、と聞くようなものです。つまり、現段階でそんな質問をされても、的確な価値判断はできないということです。
大切なのは、そういう仮定の話をする前に、「そうならないために何をするべきか」をじっくり考えることでしょう。シンギュラリティが私たちに示唆しているのは、もし私たちが今の生活様式を守り続けていきたいのであれば、現在、人間が発展させようとしている技術をこのまま開発し続けることはできないという事実です。
今のまま二酸化炭素の排出が続いたり、放射能汚染が蔓延・拡大したり、あるいはAI機器が人間に取って代わり社会をコントロールするようになれば、今の生活は間違いなく破壊されるでしょう。テクノロジーには、私たちの生活を前進させるだけでなく、私たちの未来に起こり得る危機を示唆し、気づかせてくれる役割もあります。それを人間は謙虚に受け止める必要があるでしょう。
「AIが人間を超えるような事態になったらどうなるか」などと考えるより、「人類はどの方向に進みたいのか、そのためには何が必要なのか」を議論するほうが先だと思うのです。
オードリー・タン
台湾デジタル担当政務委員(閣僚)
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