
「親が認知症で要介護」という境遇の人は今後、確実に増加していくでしょう。そして、介護には大変、悲惨、重労働といった側面があることも事実です。しかし、介護は決して辛いだけのものではなく、自分の捉え方次第で面白くもできるという。「見つめて」「ひらめき」「楽しむ」介護の実践記録をお届けします。本連載は黒川玲子著『認知星人じーじ「楽しむ介護」実践日誌』(海竜社)から一部を抜粋、編集した原稿です。
両親が認知症になった理由とは
母が認知症になったわけ
私はバツイチである(余計なことだが、今も独身)。今から26年前、離婚した私に「実家に戻ってこい」と言ってくれたのは父である。実家に戻ったその日、父は私の大好きな缶酎ハイを買ってくれていた。口数の少ない父が、「おかえり」と、差し出してくれた光景を今でも鮮明に覚えている。

75歳で現役を引退し、その後は野菜作りをしたり、母と旅行をしたりして過ごしていたが、ある日をきっかけに黒川家に転機が訪れた。2011年3月11日に発生した東日本大震災である。この揺れがきっかけで、軽いうつ病だった母は、起き上がるとめまいがすると言い、一日中寝ているようになった。
めまいの症状はどんどんひどくなり、ついには吸い飲みから水を飲むことも嫌がるようになった。脱水症状一歩手前の状態となり、めまいが収まるまで、点滴のために入院したのだが、結局、入院期間中に気力が低下し認知症を発症した。
父が認知症になったわけ
入院期間中に気力が低下し、筋力も低下し歩行ができなくなった母。在宅での生活は難しく病院からホームに入居することになった。
母の入院中にわかったことは、父は一切家事ができないということだ。おまけに、家のどこに何があるのかさえも知らないのである。まあ、母がすべて父の身の回りのお世話をしていたので仕方がない。
おまけに、超ド級の頑固、言い出したら自分の考えを貫く。私にとっては面倒くさい存在だったのだが、今思えば、なんでも一人でできていたのでラクチンだった。
父は、雨の日以外、畑に行きせっせと野菜のお世話をするのが日課だった。しかし、借りていた畑に建売住宅が建つことになり、大好きだった野菜作りができなくなったことがきっかけで、家の中でぼーっとしている時間が増えた。父が、毎日コンビニにおにぎりを買いに行くようになったのはこの頃からである。
黒川 玲子
医療福祉接遇インストラクター
東京都福祉サービス評価推進機構評価者
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