※本連載は中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表・松本亘正氏の著書『中学受験 「だから、そうなのか!」とガツンとわかる 合格する歴史の授業 上巻(旧石器〜安土・桃山時代) 』(実務教育出版)より一部を抜粋・再編集したものです。

秀吉が行った2つの政策

次の文章を読みながら、【⑬】~【⑱】を埋めましょう。答えはページ下部を参照(PCの場合は【 】内部をマウスでドラッグしても参照可能です)。
 

秀吉の政策は下の2つが重要です。

 

●【⑬太閤検地(たいこうけんち)】(【⑭1582】年)

 

ものさしやますを統一し、どれだけ米が収穫(しゅうかく)できるかという石高(こくだか)を調べ、検地帳(けんちちょう)に記録した。年貢(ねんぐ)を確実に取り立てることが目的。農民は耕作する権利が認められたが、年貢(ねんぐ)を納めることが義務づけられ、土地を離れることができなくなった。

 

●【⑮刀狩(かたながり)】(【⑯1588】年)

 

農民から刀、鉄砲(てっぽう)などの武器を取り上げた。農民の一揆(いっき)を防いで、田畑の耕作に専念させることが目的。武士(ぶし)と農民の身分が区別される兵農分離(へいのうぶんり)が進む。

 

太閤検地の「太閤」とは、関白(かんぱく)を退いた後の呼び名です。秀吉は、1585年に【⑰関白、翌年には【⑱太政大臣(だいじょうだいじん)の地位につきました。関白を辞めたのは1591年だから、「あれっ」と思いませんか?

 

太閤検地は1582年からと言いましたが、秀吉が関白を退いたのは1591年。どうして関白になってもいない1582年に行われたのが「太閤検地」なのでしょうか。

 

じつは秀吉が関白を辞めてから自分のことを太閤と呼んだため、昔の検地も、秀吉が行ったものは太閤検地と呼ばれるようになったのです。

 

刀狩は、「取り上げた武器は大仏づくりに使うので、農民もあの世に行ける」と行って武器を取り上げたそうです。もちろん、これは口実であって、狙いは一揆を防ぐことと、農業に専念させること。この2つの理由を覚えておきましょう。

 

<⑬~⑱の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。

⑬太閤検地(たいこうけんち)

⑭1582(年)

⑮刀狩(かたながり)

⑯1588(年)

⑰関白

⑱太政大臣(だいじょうだいじん)

 

 

【安土・桃山時代の内容を復習する】 

 

松本 亘正

中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表

 

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