
「最適な治療」を受けられる医療施設とはどこでしょうか。最新の機器がある、ベテラン医師がいる、適切な治療が受けられる…一般では「大学病院」こそがそうであるというイメージが強いようです。しかし、大学病院には「最高の医療」の提供を阻む、理不尽なシステムがあるのです。※本記事は、アイケアクリニック院長、眼科医の佐藤香氏の著書『目は若返る』より一部を抜粋・再編集したものです。
「患者のための医療」の実現を阻む、不可解なシステム
「いい病院で、いい治療を受けたい」というのは、すべての患者さんにとって共通する願いでしょう。
ここで、眼科における「いい病院」「いい治療」について、少し考えてみましょう。一般的に考えて、
●最新の機器があるなど、施設が充実している
●腕のいい医師がいる
●病気についてわかりやすく説明してもらえる
●自分の症状に合った適切な治療が受けられる
ということになるのではないでしょうか。その条件に合っているのは、「大学病院が一番! その次が地域で最も規模の大きな病院」というのが、大多数の人の見方でしょう。ところが、意外や意外、話はそう単純ではないのです。
私がそのことに気づいたのは、念願かなって大学病院の眼科に入局してしばらく経ったころのことでした。私の出身大学の眼科には、30〜40人の医師がいて、それぞれ白内障・緑内障・網膜症・神経など、専門に分かれていました。
専門化された大学病院で私が最も疑問に感じたのは、「これ、本当に患者さんのためになっているの?」と思わざるを得ないような、たいへん不可解な診療システムでした。
大学病院なので、地域の開業医の紹介状を持ってやってくる患者さんが少なくありません。そうした方たちは、ほとんどが予約を取った上で来院されるのですが、「予約」とは名ばかりで、5〜6時間待ちはザラというのが現状です。本書『目は若返る』第2章の「事例3」で取り上げた「予約のたらい回し」が日常化しているのです。
近所の眼科で大学病院を紹介されて電話をしてみたら、「今、予約の患者さんでいっぱいなので、3週間後の●時に来てください」と言われてしまう。
当日大学病院の外来に行ったら待合室は患者で溢れかえっていて、診察が予約時間を5時間もオーバーする。あげくの果てに、「近所の眼科で緑内障と診断され、紹介状をいただいて来ました」と医師に言うと、「ではあなたは、B先生に診ていただいてください。予約を取って帰ってくださいね」と言い、それだけでその日の診察は終わってしまう…というようなことが常態化していました。
さらに、「もっと上の先生に診てもらってください。予約を取り直して」と言われ、また新たな予約を取り、「上の先生」の診断までようやくたどり着いたと思ったら、「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか!」と、医師に叱られるというありさまです。
患者さんにしてみたら、「自分は言われたとおりに予約を取り、忙しい中、何時間も我慢して待っていたのに、何でそうなるの?」という感じでしょう。
患者さんには本当に申し訳なく、お気の毒としか言いようがないのですが、医師である私もまた、この不可解なシステムに悩まされてきました。
患者さんのことを思えば、少しでも治療してあげたい、そうしないと、あとあとたいへんなことになるのが目に見えているのに、ベテランの先生のところには予約が殺到してしまっていて、予約が1ヵ月2ヵ月先になるということがざらにありました。
カルテにすべて診療記録が残っているため、先に診察をしていた私にも、「どうして早く僕のところに回してくれなかったんだ!」と、ベテランの先生からの容赦ない叱責が飛びました。
患者さんのことを思えば先生のお怒りはごもっともですが、私にはいかんともしようがなく、ただただ「申し訳ありません」と自らの無力さを呪いながら、頭を下げることしかできませんでした。この、「システム」という不可解な壁には本当に悩まされました。
民間施設でこそ「最先端の治療」を行える事実
一般の患者さんが、大学病院という言葉を聞いただけで「頼れる」「一番いい治療をしてくれる」「難病に対応できるのは大学病院だけ」というイメージを抱くのは、無理のないことです。
たとえば命に関わるような内臓の病気で、非常に精密な血液検査が必要だったり、大がかりな手術施設が必要だったりする場合は、大学病院での治療がベストになることがあるというのは事実です。
しかし、こと眼科に関しては、そのセオリーが必ずしも通用するとは限りません。むしろ民間の医療機関で先端的な新しい治療方法や薬剤を取り入れたり、より精密な検査・リスクの少ない手術のできる機械を導入したりしているところのほうが、難しい疾患に即座に対応できるのではないかと感じます。
それには、眼科は医師が一人いればごく少ないスタッフで運営できること、扱う領域が狭いため検査や治療に使う機器類も、個人のクリニックに十分置けるくらいのサイズだということがあります。
大がかりな設備を必要としないため、豊富な知識や経験・技量のある開業医であれば、大学病院と同等か、あるいはそれ以上のレベルの医療を行うことができるのです。
むしろ個人のクリニックのほうが、院長自身の裁量で、検査・診療に役立つ新しい機械や薬剤を導入できるため、より患者さんの役に立つ医療が実践できるのではないかと思います。
大病院ほど「患者よりコスト優先」にならざるを得ない
今、私たちは当たり前のようにインターネットで、迅速かつ大量に情報を入手できるようになっています。でも10年前を思い出してみてください。
まだスマートフォンも登場しておらず、いわゆる「ガラケー」でメールのやり取りができるようになったことに狂喜していたのではないでしょうか。
この10年の技術革新は、目を見張るものがあります。そして、この10年の間に、それと同じことが眼科治療の世界にも起こっていました。
さまざまなテクノロジーが発展した結果、医療機器メーカーも製薬会社も、「よりよいもの」が作れるようになったため、巨額を投じてしのぎを削り、研究・開発を行うようになったのです。
その結果、使い勝手や性能という点で、従来品を上回るものがどんどん出てくるようになりました。
たとえば白内障の治療に、それは端的に表れています。白内障の手術では、濁った水晶体を取り除き、そこに人工のレンズを入れます。新たに入れるレンズは、患者さんが「いちばんよく見たい場所」に焦点を合わせたものでなければなりません。
このとき、表に出ていない部分を含めた眼球全体の長さや眼球のカーブを正しく測定することが非常に重要になります。
これが正しく測定できていないと眼内レンズの度数が誤ったものになってしまい、患者さんの満足のいく見え方ができなくなってしまうからです。
眼内レンズの度数を測定するための機械は、現在多数あります。それらを複数種類組み合わせることによって、より精緻な計算ができ、患者さんの満足度も高くなっていきます。
ですから、医療機関にはできるだけ多くの検査機器を設置しておくことが望ましいのですが、病院の規模が大きくなればなるほど、複数を設置するのが難しくなるという事情があるのです。
それというのも、病院における年間予算には厳然たる枠があり、それを各診療科が分け合うという形になっているからです。
私も勤務医だった時代に、何度も機械購入のための交渉をしましたが、意見が聞き入れられることはまずありませんでした。
「予算ありき」の悔しい現実
母校の附属病院に3年勤務した後、私は埼玉県内の中都市の病院に医局から派遣されて勤務することになりました。
その病院では毎月、一定の期日に予算会議が行われ、各診療科の医長が出席し、要望を出すことになっていました。医師はみな、自分の科の患者さんのために、より多くの予算を獲得したいと思っているので、会議は常に白熱しました。
このころすでに眼科の医療機器は飛躍的に進歩していたので、私も少しでもいい機械を導入したいと入念に下調べをし、手に入る限りの資料をそろえてプレゼンテーションに臨みました。
その機械を導入することによって従来に比べてどれくらい精密な計算ができるようになるか、それが患者さんにどれほど大きな恩恵をもたらすか、一生懸命訴えました。ところが、反応はいつも同じでした。
「とはいえ、所詮眼科でしょ? 命に関わるような病気じゃないよね? それよりもうちの科のほうが、よほど重要だ」
などと反論されてしまうのです。若くて政治力のない私は、常に不利な立場でした。もっとも、コスト的なことを言われてしまうと、私自身、二の句が告げないという事情もありました。機械の金額に対して、
①その機械が必要な患者数はどれくらいいるか多ければ多いほどベター
②その機械を使った場合の保険点数は何点くらいか高ければ高いほどよい
③①と②を勘案した場合、何年で投資額が回収できるか短ければ短いほどベター
という、3つの条件をクリアしなければならなかったのです。私が使いたいと思う機械は、間違いなく患者さんの役に立つものではありましたが、コスト的には見合わないものばかりでした。

現在私が自分のクリニックで使っている機械も、コストを考えたら、到底導入できないだろうと思われるものが非常に多いです。本書第4章で詳しくご説明しますが、白内障の自由診療で使っているレーザーメスは1台6000万円という非常に高額なもので、維持費だけでも年間500万円以上かかります。高額な機械を使ったからといって、そのコストを患者さんからいただくわけにはいかないので、ほぼクリニックの自己負担という形になっています。
眼科の機器類はどんどんいいものが出ているのに、それがなかなか普及しない理由のひとつには、あまりに高額だということがあるのだと思います。普及しないので大量生産ができないため、コストダウンも難しいのでしょう。
「待望の治療薬」さえ阻む、非合理的なシステム
薬剤に関しても同様で、大規模な病院よりも、むしろ民間施設のほうが、新しい薬をスピーディーに導入しているという現実があります。
特に印象に残っているのが、緑内障の新しい薬剤が出たときのことです。緑内障は一度発症したら、決して回復することがありません。進行を食い止めるための投薬が唯一の治療方法となります。
ところが、これが患者さんには大きな負担になっていました。何種類もの薬を、時間差で点眼しなければならないのです。
朝起きて、食事をすませたところから、1日の点眼が始まります。最初の薬の点眼をすませたら、5分おいて2番目の薬を点眼し、さらに5分後に3番目の薬を点眼する、というやり方をしなければなりません。
緑内障の患者さんの場合、4〜6種類の薬を処方されている人も少なくありません。点眼に追われているうちに、あっという間に午前中が終わってしまいます。お昼の食事の後は、また同じことを繰り返し、夕食後も同様に点眼します。
「1日中点眼に追われてしまい、まとまった時間が取れない」とか、「お友達と旅行にも行けないわ。私が薬のことばかり気にしていたら、お友達も楽しめなくなっちゃうから」といった声をよく聞きました。
また、ご高齢の患者さんの中には、複雑な点眼のやり方を理解することができないという方も少なくありませんでした。
どんなにいい薬でも、使われなければ意味がありません。「使いやすい緑内障の治療薬が欲しい」というのは、私たち医師にとっても患者さんにとっても、共通した願いだったのです。
あるとき、そうした悩みを解決する薬が開発されました。ある薬と別の薬を統合した「合剤」と呼ばれるもので「これひとつ点眼すればよい」という性質のものでした。
それを使えば、患者さんの負担はだいぶ軽くなりますし、何よりもご高齢の患者さんにも使ってもらいやすくなります。私は早速、次の会議でこの薬の導入を検討してほしいと訴えました。
ところが、ここで「システムの壁」に阻まれてしまいました。眼科の場合、新規の薬を入れるためには、既存の薬を抜かなければならないという決まりがあったのです。
合剤はそれが必要な人には便利ですが、患者さんによっては合剤のうちのある成分は必要だけれども、もう一方の成分は不要ということもあります。
また、既存の薬を必要としている患者さんもいるため、おいそれと抜くことはできません。
「これがあれば、確実に患者さんの役に立つ」というものが目の前にあるのに、システムの壁に阻まれて導入できないというのは非常に残念なことです。
佐藤 香
アイケアクリニック 院長
アイケアクリニック銀座院 院長