教育 情操教育
連載天才の軌跡【第1回】

母の胎内に帰りたい…精神分析医が見た、男・三島由紀夫の正体

新連載

母の胎内に帰りたい…精神分析医が見た、男・三島由紀夫の正体

精神分析医の堀口尚夫氏は書籍『天才の軌跡』(幻冬舎MC)の中で、三島由紀夫の家族関係と文学作品について独自の見解を述べている。

「ロマンチックの病を病んでいるのかしれない」

切腹の時、三島由紀夫は剣(すなわち鉄)によって象徴化されている。自からは剣となって、母の胎内(三島由紀夫自身が母となって――女装の場合と同じ)へともどろうとするのである。

 

これはオットー・ランクの出産外傷または胎内復帰願望の理論と一致するものであり、このような観点からのみ、『仮面の告白』の冒頭「永いあいだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言張っていた」ことが説明されるのである。

 

三島由紀夫が死の衝動と自から言っていたものは、フロイトが述べているものとは異なったものと思われる。「少年時から青年期のはじめにかけて、私はいつも死の想念と顔をつき合わせていたような気がする」「私の死の欲求には、ますます現実離れのした、子供らしい夢想がからまるにまかせた」(共に『小説家の休暇』)。これらは死の衝動ではなく、胎内復帰の願望なのである。

 

三島由紀夫は大ロマンティストであった。彼自身の言葉によると「私は生来、どうしても根治しがたいところの、ロマンチックの病を病んでいるのかしれない」(『私の遍歴時代』)のである。ペールギュントが初恋の人に抱かれて死に、さまよえるオランダ人が最後に女性に救われるように、彼は最後に母に恕(ゆる)されて死ぬことを望んでいたのである。

 

私がここに述べたことをまとめると、三島由紀夫にとって胎生期および、幼児期こそ黄金の時代であったこと、この時期にもどる方法として、死をもって恕(ゆる)され、母の胎内に帰るために切腹を行なったこと、また父は子供の頃に偉大に思えたと同様に、彼が成人した後も、偉大であって欲しく、母に憧れる三島由紀夫を罰する(処刑する)ことを願っていたことである。

 

堀口 尚夫

精神分析医(American Institute For Psychianalysis, 1980年9月)

精神科専門医(The American Board Of Psychiatry And Neurology, 1979年4月)

ニューヨーク州医師(1977年9月)

 

精神分析医(American Institute For Psychianalysis, 1980年9月)
精神科専門医(The American Board Of Psychiatry And Neurology, 1979年4月)
ニューヨーク州医師(1977年9月) 

1943年生まれ。1968年金沢大学医学部卒業、医師免許取得、金沢大学付属病院精神科入局。1972年7月~1973年6月St. Mary's Hospital Rochester N.Y.インターン、1973年7月~1976年6月Manhattann Psychiatric Center精神科レジデント、1976年7月~1977年6月Mount Sinai Hospital精神科フェロー、 以降、N.Y.州立South Beach Psychiatric Center、N.Y.州立Kings Country Hospitalにて勤務。 1987年よりニューヨーク州立大学Downstate Medical Center 助教授。1996年帰国。現在大阪府にて開業。著書『父親像の歴史』(叢文社、2002年)、現在『悪の軌跡(仮題)』を執筆中。

著者紹介

連載天才の軌跡

天才の軌跡

天才の軌跡

堀口 尚夫

幻冬舎メディアコンサルティング

彼らはいかにして傑作を生み、歴史を塗り替えたのかーー。 ニューヨークで精神科医として活躍した著者が、フロイト、三島由紀夫、ピカソなど、天才たちの突出した「力」の根源を探る作品です。

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

登録していただいた方の中から
毎日抽選で1名様に人気書籍をプレゼント!
会員向けセミナーの一覧