ビジネスで海外の人々と関わる際、自国の歴史の知識は必須だといえます。しかし、日本人が注意しなくてはならないのが「外国人に関心の高い日本史のテーマは、日本人が好むそれとは大きく異なる」という点です。本連載は、株式会社グローバルダイナミクス代表取締役社長の山中俊之氏の著書『世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ』(朝日新聞出版)から一部を抜粋し、著者の外交官時代の経験をもとに、外国人の興味を引くエピソードを解説します。

禁中並公家諸法度による、天皇制「冬の時代」

江戸時代になると、幕府の将軍が、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと:江戸幕府によって定められた天皇家と公家が厳守すべき諸規定)によって、天皇を事実上支配下に置きました。

 

禁中並公家諸法度の第1条には、天皇の役割は学問であると規定して、政治への関与を著しく制限しました。天皇は石高も多くて3万石程度であり、弱小大名程度の経済力しかありませんでした。長きにわたる天皇制において、冬の時代と言ってよいと思います。

 

江戸時代は、朝廷に対して江戸の幕府が優位に立った時代でした。

 

一方、将軍の正室は、皇族や摂関家から迎えられるのが一部の例外を除き常でした。京都の朝廷や摂関家との関係を重視したためです。また、大名から正室を迎え入れると特定の大名との関係が強くなりすぎて好ましくないと判断されたためです。江戸幕府は、中国の歴史から外戚が大きな政治的権力を持つことを学び警戒していたのでしょう。

 

江戸時代の天皇は幕府から政治的権力を行使することが制限されており、京都の御所から出ることが原則許されませんでした。現在の感覚では信じられないことです。江戸幕府による軟禁状態と言ってもよいでしょう。

王政復古の大号令により「天皇中心の政治体制」が復活

しかし、幕末になると状況が変わります。14代将軍家茂は、およそ230年ぶりに徳川将軍として上洛します。そして、孝明天皇の賀茂神社への行幸(天皇が外出すること)に同行しています。この時に京都の町の人は、天皇に将軍が付き従う姿を見たのでした。家茂は、孝明天皇の妹・和宮を妻としていましたので、孝明天皇は義兄にあたります。義兄とはいえ、京都の町を天皇に従って将軍が歩くというのは将軍の地位の大きな凋落と言えるのです。

 

江戸時代の江戸では一般庶民が将軍を見ることは許されませんでした。しかし幕府の力が衰えてきたので、むしろ将軍の姿を一般庶民に見せて威光を感じてもらおうという方針に変更したのだと推測します。しかし、結果として天皇に付き従う姿は、将軍権力を貶める結果になりました。

 

その後、最後の将軍徳川慶喜による大政奉還、王政復古の大号令により明治維新となり、天皇を中心とする政治体制が復活しました。王政復古や維新という言葉は、天皇が再度政治の中心に躍り出たという意味合いがあります。

 

英語では、明治維新のことをMeiji Restorationと言います。このRestorationは、王政復古と捉えられるので、外国人と話す際には注意が必要です。明治という近代国家の成立と王政復古は逆のことのように感じられるからです。外国人に明治維新について話す際には、「封建制が終わり、近代化が始まる」といった説明を加えるのがよいでしょう。

 

 

山中 俊之

株式会社グローバルダイナミクス 代表取締役社長

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

世界96カ国をまわった元外交官が教える 外国人にささる日本史12のツボ

山中 俊之

朝日新聞出版

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