新型コロナウイルスの感染拡大で日本人の働き方が大きく変わった。東京都の外出自粛要請に始まり、政府の緊急事態宣言が出され、多くの企業でオフィスワークを在宅勤務に切り替えるなど対応に追われた。出版業界も例外ではない。出版社もリモートワークが始まり、新しい働き方が模索されている。通勤するサラリーマンが減ったため、都心部の大型書店は休業を余儀なくされた。出版業界も撃沈かと思われたが、実はいろいろなことが起こっていた。新型コロナ禍の下での出版事情をレポートする。

『ペスト』は重版12回、4ヵ月で36万4000部の増刷

ところで、版元の新潮社は今回のブレイクを予測していたのだろうか。

 

「いいえ予想外です。あちこちの書店で品薄になったと聞いてから増刷を重ねてここまで伸びた。2月中はじわじわ、3月に入りマスコミがとり上げてから一気に火がつきました」と、宣伝部・馬宮守人氏はいう。

 

新潮文庫の『ペスト』の発刊は1969年。カミュの代表作の一つであり、半世紀をかけてこつこつと重版を重ねてきた。コロナ禍が本格化する前の1月末時点で、すでに84刷、88万6000部に達していたというから、この時点ですでに隠れたロングセラーではあった。ここからがすごい。コロナウイルスの感染拡大とともに増刷を重ね、6月8日現在、累計125万部(96刷)に達した。2月以降の重版が12回、4カ月で36万4000部を刷ったことになる。まさにコロナ特需である。電子書籍も同様に売り上げを伸ばし、今年1~5月の累計ダウンロード数が過去30ヵ月分の20倍に達したそうだ。

 

都内の大型書店にもようやく活気が戻ってきた。
都内の大型書店にもようやく活気が戻ってきた。

 

それにしても、文庫でミリオンというのは希少ではと水を向けてみた。

 

「夏目漱石の『こころ』、太宰治の『人間失格』は新潮文庫だけで累計700万部以上を刊行しています。『ペスト』はそれでもベスト200くらいには入ると思います」

 

さすがは新潮社。文芸ものに積み重ねた歴史がある。海外文学ではヘミングウェイの『老人と海』が約500万部、カミュの『異邦人』も400万部以上売れている。

 

前述の内田氏が、コロナ禍で売れた印象的なもう一冊にあげるのが、五木寛之の『大河の一滴』(幻冬舎、1999年)である。文庫本売上げランキングで『ペスト』に次ぐ2位をずっと追走している。幻冬舎に問い合わせたところ、今年に入ってからの増刷回数は、単行本と文庫を合わせて13回34万部。累計320万部を超えたという。

 

「新型コロナが深刻になり始めた時期から売れ始めた。読者は30代〜90代まで幅広いです。」(編集担当/相馬裕子氏)

 

ご存じ五木寛之の随筆で、老境に至った五木寛之が仏教用語や老子や親鸞の教えも散りばめながら、「どんなに前向きに生きようとも、誰しもふとした折に心が萎えることがある」と、人生の窮地への向き合い方を説いている。直接のコロナ関連本とは言い難いが、いつの時代も疫病がまん延すると人々は死を身近に感じ、自分の来し方やこれからの人生に思いを馳せる。長い自粛・耐乏期間中に「じっくり読み直してみるか」という心理はよく分かる。

 

同著はこの機に、単行本(1998年発刊)も新たに重版をかけた。内田氏は「非常に異例のことで、これが売り上げに拍車をかけた」と分析する。これに対して幻冬舎は、「年配の方にも読みやすい形で届けたいという思いもありました。以前から、単行本で読みたいというリクエストが届いていたこともあります」という。

 

発刊50年の『ペスト』に同20年の『大河の一滴』。旧作は強し。出版不況とコロナ禍の二重苦の中でも、ベストセラーを生み出せることが今回のコロナ禍で証明された。

 

平尾俊郎

フリーライター

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