「手探り」で麻酔注射…1990年代まで行われていた白内障手術

いまや白内障手術は「安全であること」が当たり前になっていますが、実は約30年前までは、白内障手術は今よりはるかに困難で、非常に原始的で危険な方法がとられていました。今回は、『「見える」を取り戻す白内障手術』(幻冬舎MC)より一部を抜粋し、白内障手術の変遷について紹介します。※1700年以前の白内障手術についてはこちら

水晶体の核を4等分にして取り出す「核分割法」が誕生

水晶体の「核」と呼ばれる中心部の砕き方には「核分割法」という進歩がありました。核をいきなり超音波で粉砕しようとすると、核の動きをコントロールするのが難しく手術時間が長くなりますし、核が目の中で暴れるため非常に多くのエネルギーが必要となり角膜内皮細胞の減少につながってしまいます。この細胞は一度死んでしまうと再生しないため、極力傷つけないように小さなエネルギーで粉砕する必要があります。

 

[図表1]水晶体の構造

 

さらには、核が不安定だと破壊力のある乳化吸引(超音波を利用して、眼の水晶体を乳化して取り除くこと)操作によって不用意に水晶体の袋を巻き込み破ってしまうリスクがありました。このため、あらかじめ硬くなった核を分割する核分割法が考案されたのです。

 

1980年代に、カナダのハワード・キンベル先生が、超音波によって水晶体に十文字の溝を掘り、4つに分割した核をひとつずつ吸引して取り出すという新しい術式を生み出します。「ディバイド・アンド・コンカー」という方法です。時間はかかりますが初心者でも安全に超音波乳化吸引が行えるため、世界でもっとも用いられる術式となりました。

 

水晶体を4分割したところ
水晶体を4分割したところ

 

その後、核分割を行う器具が主に日本人の手によって開発されていきます。

 

1990年に核分割スパーテルという器具が考案され、改良されて分割君(新川橋フック)が発売されました。1992には赤星隆幸医師によりフェイコ・プレチョップ法が開発され、その4年後にはプレチョッパーが完成しました。

 

1993年には永原式フェイコチョッパーが生まれました。その他にもさまざまな医師がメーカーと共同で、核分割器の開発にしのぎを削っていました。医師たちは「硬い核を安全に取り出すためにはどうしたらいいか」ということに、情熱を傾けていたのです。

 

現在多くの医療機関で使われている永原式フェイコチョッパー
現在多くの医療機関で使われている永原式フェイコチョッパー

 

器具の使い方は「丸いホールケーキをナイフで4分割し、その後超音波乳化吸引装置で粉砕(歯でかみ砕き)し、その上で吸い込む」イメージです。

 

ちなみにフェイコチョッパーとは、フェイコ(phacoemulsification;超音波水晶体乳化吸引術)とチョップ(chop;切り刻む、たたき切る)と合わせた造語です。

90年代、待合室には厚底メガネの患者が並んでいた

私が医師になった1990年当時の京大病院は、まだ超音波乳化吸引装置を導入していませんでしたので、先述の水晶体の中味である核を目の外へ取り出していました。

 

まず、核を取り出す創口として角膜の縁を10ミリ程度の広さに切ります。次に、水晶体の袋の前の部分(前嚢)を針で缶詰のかんを開けるように小刻みに切ります。あとは、角膜縁の創口を少し持ち上げながら創口の反対側の角膜縁を圧迫して水晶体核を押し出していました。

 

この方法は、出産時に赤ちゃんを分娩するのに似ていることから“分娩法”とも呼ばれていました。

 

当時の京大病院の研修医は1年間医局で下働きをしたあと、外の病院に修行に出るのですが、外病院に赴任する前に白内障の手術を指導医のもと1例だけ執刀させていただくのです。

 

初めての白内障手術ですから、緊張感はマックスです。何度も何度も指導医の手術ビデオを見てイメージトレーニングを重ねて臨みましたが、まるで綱渡りをしているような感覚です。切開の深さや角度に細心の注意を払いながら手術を進め、いよいよ核娩出の時が来ました。失敗してしまうと硝子体という目の奥の透明な組織まで出てきてしまうので、もう必死です。

 

目を圧迫し、黄褐色に濁った核がムニュっと出てきたときは安堵しました。

 

水晶体の中味をきれいに取り出した後は、角膜縁を切開した部分を縫合するのですが、これがまた一苦労で……。角膜にひずみが生じないように一針一針丁寧に縫っていくのですが、なかなかきれいに縫えず、手がガタガタと震えていたのを覚えています。結局、トータルの手術時間は1時間でした。

 

術後角膜の腫れのためにしばらくは視力が出ませんでしたが、幸いにも2ヶ月ほどすると、1.2の視力が出ました。患者さんには大変なご迷惑をおかけしたのですが、医師としての成長を助けていただいた恩人だといまでも感謝しています。

 

ちなみに1990年当時は、日本ではまだ眼内レンズが保険収載されていなかったので、自費診療でした。眼内レンズを自費で入れない場合「水晶体を取り除く」処置のみになり、ピントが合わなるため、術後はこのイラストのような分厚いメガネをかける必要がありました。当時の眼科外来の待合室には、分厚いメガネをかけた患者さんがずらっと並んで座っていて、その光景が今でも忘れられません。

 

水晶体を取り除いた後、水晶体の替わりにかける凸レンズのめがね。水晶体がなくなるとピントが合わないため、このようなメガネが必要だった。術前に比べればよく見えるが、見える範囲が狭く、快適とはいいがたいものだった。
術前に比べればよく見えるが、見える範囲が狭く、快適とはいいがたいものだった。

「点眼麻酔」は痛みがまったくない!

ここで少し麻酔のお話をします。現在、白内障の手術をする際には点眼薬による麻酔をしますから、麻酔自体にも痛みはまったくありません。

 

点眼麻酔の持続時間はおよそ15分ですが、白内障の手術は片目が10分程度ですから、効果が持続している間に終わってしまいます。

 

しかし私が研修医をしていた頃は、球後(きゅうご)麻酔といって、下の図のように眼球の裏側に注射針で麻酔液を注入していました。

 

目の下まぶたのあたりを触ると、骨があります。この骨より少し上に針を入れて、注射針の先を眼球の後ろまで刺して麻酔薬を注入するのが「球後麻酔」です。

 

眼球の裏側に注射針で麻酔をしていた
[図表2]球後麻酔 眼球の裏側に注射針で麻酔をしていた

 

注射針の長さは7〜8センチあり、皮膚の向こうは見えませんので眼球をイメージしながら感覚により針を進めていきます。

 

ブラインドで針を刺すため医師の経験値によってはリスクがあり、患者さんにとっても痛みを伴うものでした。

 

私も医師になったばかりの頃、この注射での麻酔を行っていましたが、ブラインドで針を進めるので怖かった思い出があります。もちろん症例数を積み重ねていけばブラインドでも安全に行えるのですが、経験の浅い研修医には危険な香りを放っていた手技でした。もちろん、患者さんのほうがもっと怖い思いをされていたと思います……。

 

 

板谷 正紀

医療法人クラルス はんがい眼科 理事長

医療法人クラルス はんがい眼科 理事長 

京都大学眼科で網膜と緑内障の研究と臨床に従事。白内障手術、緑内障手術、硝子体手術などを駆使する術者として技術練磨に勤む。
埼玉医大眼科教授、日本眼科手術学会総会長、埼玉県眼科医会理事、埼玉腎・アイバンク専務理事などを歴任。

▼はんがい眼科の公式ブログ「目のブログ」▼
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著者紹介

連載近くも、遠くも、快適に…「見える」を取り戻す白内障手術

「見える」を取り戻す白内障手術

「見える」を取り戻す白内障手術

板谷 正紀

幻冬舎

レーザー白内障手術は、安全・快適・短時間に「見えない」という病気状態を解決し、「見える」を取り戻し、さらに快適に見えるを手に入れるまでに進化しました。この本では、進化した多焦点レンズ、レーザー白内障手術の最新情…