失敗した眼科医が手指切断⁉「白内障手術」驚きの歴史とは?

いまや白内障手術は「安全であること」が当たり前になっていますが、実は約30年前までは、白内障手術は今よりはるかに困難で、非常に原始的で危険な方法がとられていました。今回は、『「見える」を取り戻す白内障手術』(幻冬舎MC)より一部を抜粋し、白内障手術の変遷について紹介します。

30年前まで、非常に原始的な白内障手術が行われていた

現在の白内障の手術は、新聞・雑誌・インターネットの広告欄や書籍などで「日帰り手術
」「安心・安全」という文言が躍り、手軽で安全に受けられるというイメージが広く浸透
するようになりました。

 

実際に白内障の手術は、現在では片目が10分程度で終わり、痛みや出血はほとんどなく、日帰り手術が可能です。また高品質な眼内レンズの登場により、手術後の見え方も劇的に向上しました。

 

現在行われている小切開白内障手術という術式は、1990年代半ばに確立しました。「点眼麻酔+超音波乳化吸引術+折りたたみ眼内レンズ挿入術」という3つがセットになっています。小切開白内障手術法がほぼ完成の域に達したことにより、安全で、患者さんの負担も少なく、術後にはクリアな視力を得られるようになりました。

 

小切開白内障手術は、患者への負担も少なく安全
小切開白内障手術は、患者さんへの負担が少なく日帰りも可能!

 

しかし私が研修医に成り立ての30年前より以前には、白内障手術は今よりはるかに困難で、非常に原始的で危険な方法がとられていました。当時の麻酔は、今のような点眼タイプではなく、目の下のくぼみの部分から眼球の裏側へ長い針を刺す球後麻酔で、苦痛を伴い、リスクも高いものでした。

 

また水晶体を取り出す際も、超音波水晶体乳化吸引装置はほとんど普及しておらず、水晶
体をそのままの形で取り出すので角膜の180度程度の切開が必要でした。

 

手術終了時には、切開創が大きいので角膜の縫合が必要でした。人の手による縫合では、
強く縫うところ、弱く縫うところなどムラが生じるので、角膜にゆがみが生じ、強い術後
乱視を引き起こしてしまうこともたびたびでした。縫うという作業自体にも長い時間が必
要でした。

「日帰り手術」など、到底考えられなかった

手術後も、患者さんは仰向け姿勢での安静が必須でした。もちろん日帰りなど夢のまた夢
で、およそ1週間程度の入院が標準だったのです。

 

術後は、3カ月程度経った頃から分厚い凸レンズのメガネをかける必要があり、眼科の待
合室には、牛乳瓶の底のようなメガネをかけた方がずらっと並んでおられました。あるい
は、代わりに分厚いハードコンタクトレンズを使う患者さんもおられました。時々、ハー
ドコンタクトレンズを洗いに眼科外来へ来られるご老人を目にしました。

 

そう、私が研修医だった1990年頃も、今のような洗練された術式など、想像もできなかったのです。「眼内レンズ」が保険外診療として始まっておりましたが、水晶体の中味を丸ごと取り出す方法で、やはり大きな切開創が必要でした。

 

しかし、その後の白内障手術の進歩は目を見張るものがあり、そのすべてを体験して今の私があります。

 

学会に参加するたびに新しい手術方法、眼内レンズ、手術機器などが発表され貪欲に吸収していきました。常に最新の方法を取り入れ自分の手術技術を磨いていくことは、とてもやりがいのあることです。1990年に医師となり、白内障手術が劇的に進化していく過程に立ち会えたことに心から感謝しています。

「濁った水晶体を目のなかに落とす」時代

【紀元前1750年頃】眼科医は、目の手術を失敗したら「手指切断」⁉

白内障手術ではありませんが、チグリス・ユーフラテス川の流域で栄えていたメソポタミ
ア文明では、すでに目の手術が行われていたという記録があります。“目には目を歯には歯を”の報復律で有名な「ハンムラビ法典」の中には、眼科医が手術をした際の報酬に関しての記述があります。

 

さすがハムンラビ法典。視力の回復具合によって報酬の額が定められ、うまくいかなかった場合には、眼科医は手指を切断という記述が登場します。

 

 

【紀元前600年頃】古代インドでは、白内障手術が行われていた

白内障の手術について記載されている最も古い記述は、紀元前600年頃の古代インドです。外科書『Susrutasamhita』の中に、眼科疾患の系統的な記述と白内障手術の術式の説明が登場します。

 

 

「水晶体眼内脱臼術」(couching法・針立法ともいう)という術式で、角膜の耳側(毛様体扁平部)から水晶体に針を突き刺し、濁った水晶体を硝子体腔という目の奥に落とすというもの。濁った水晶体が瞳から取りはずされることで、光を取り戻していたようです。

 

couching法での手術の様子
couching法での手術の様子


【紀元前400〜紀元後200年頃】おとぎ話に、白内障が治ったヤギが登場

ヒポクラテスは紀元前400年前後に活躍した古代ギリシャの医師ですが、彼の著作には、
眼科疾患についての解説と白内障手術について述べられています。そして時代はずっとくだって紀元後200年頃には、ローマ帝国時代の医学者であるガレン(Claudius Galen)が著した本に、白内障が治ったヤギのおとぎ話が登場します。

 

 

白内障により視力が低下したヤギが、とげで目を刺すと白内障が治るというもので、目の中のある部分(水晶体)を落下させると再び目が見えるようになるといわれていたようです。しかし医師でもあったガレンは、どうしてヤギの白内障というおとぎ話を、わざわざ載せたのでしょうか?

 


【750〜1000年頃】日本の医書に“清盲”という言葉が登場
中国の医書に白内障手術が登場するのは752年のことですが、日本では、平安朝の頃に丹
波康頼が最古の医書『医心方』(984年)を記します。丹波康頼は貴族であり医師でした
が、この『医心方』に白内障手術についての記載があります。


『医心方』は、中国(唐)から日本にもたらされた医書を丹波康頼の解釈によって集大成
したものとされており、この中に“清盲”という言葉が登場します。これがおそらく、現
在の白内障ではないかとされており、平安時代にはすでに白内障という概念が知られてい
たことを示しています。


ちなみに『医心方』は日本に現存する最古の医学書で、全30巻が編纂され、当時の朝廷に献上されました。

 


【1360年頃】名古屋の高僧が、白内障手術をスタート
日本では、「水晶体眼内脱臼術」による白内障手術が、1300年代半ば頃には行われていました。インドから中国を経由して日本に伝わったようです。

 

室町時代、名古屋の高僧・馬島清眼(まじませいがん)という人物が白内障手術を始めた
(1355〜60年頃)という記録が残っています。馬島清眼は日本最初の眼科専門医で、醫王山薬師寺を再興し、馬島流眼科を創始したといわれています。

 

 

◆偽医者が、手術に失敗⁉
面白いのは、国宝「病草紙」(平安時代後期)の中に、偽医者が白内障手術を行うくだり
が描かれていることです。水晶体眼内脱臼術に失敗し、出血させてしまった図が残ってい
ます。当時すでに白内障手術というものが行われており、偽医者まで存在していたという
ことが興味深いです。


この水晶体眼内脱臼術は18世紀頃まで行われていました。おそらく当時は、現在のような無痛になる麻酔などはなかったでしょうから、患者さんは相当な痛みを我慢していたと思われます。また術後の感染症対策も不十分だったでしょうから、術後感染症もかなりの確率で生じていたと考えられます。


成功率は30%前後だったという記述も残っており、その3割の成功に賭けて人々は白内障
の手術に臨んでいたのかもしれません。

 

 

板谷 正紀

医療法人クラルス はんがい眼科 理事長

医療法人クラルス はんがい眼科 理事長 

京都大学眼科で網膜と緑内障の研究と臨床に従事。白内障手術、緑内障手術、硝子体手術などを駆使する術者として技術練磨に勤む。
埼玉医大眼科教授、日本眼科手術学会総会長、埼玉県眼科医会理事、埼玉腎・アイバンク専務理事などを歴任。

▼はんがい眼科の公式ブログ「目のブログ」▼
https://eyeblog-hangai.com/
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https://hangai.org/cataract-seminar/

著者紹介

連載近くも、遠くも、快適に…「見える」を取り戻す白内障手術

「見える」を取り戻す白内障手術

「見える」を取り戻す白内障手術

板谷 正紀

幻冬舎

レーザー白内障手術は、安全・快適・短時間に「見えない」という病気状態を解決し、「見える」を取り戻し、さらに快適に見えるを手に入れるまでに進化しました。この本では、進化した多焦点レンズ、レーザー白内障手術の最新情…