
子どもがいない夫婦の場合、配偶者の遺産はすべてその夫(妻)が相続するものと思っていませんか? しかし、法律上はそうではなく、子どもがいない夫婦ほど生前に遺言書を用意しておかないと大変な事態に陥るケースもあるのです。 ※本記事は、株式会社トータルエージェントが運営するウェブサイト「不動産・相続お悩み相談室」から抜粋・再編集したものです。
子どもがいない夫婦…配偶者の遺産は誰のものに?
子どもがいない夫婦の場合、法律上、下記のように法定相続人が定められています。
被相続人(資産を残して死亡した人)の両親が存命の場合
法定相続人は「配偶者」と「両親」。
法定相続割合は、配偶者が3分の2、両親が3分の1。
相続人の両親がなく、きょうだいがいる場合
法定相続人は「配偶者」と「きょうだい」。
法定相続割合は、配偶者が4分の3、きょうだいが4分の1(きょうだいが複数いる場合は、4分の1を分け合うことになる)。
被相続人の両親もきょうだいもないが、きょうだいの子ども(甥や姪)がいる場合
法定相続人は「配偶者」と「甥・姪」。きょうだいが死亡していても、きょうだいに子どもがいると、その子どもたちが代襲相続の権利を持つ。つまり、被相続人の甥や姪が法定相続人。
配偶者が亡くなって悲しみに暮れているときに、存在を意識していなかった法定相続人から相続問題を突き付けられ、愕然とするケースは後を絶ちません。
渋谷区在住Aさんの事例を見てみましょう。
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Aさんは渋谷区在住の70代後半の主婦です。夫のBさんは婦人服のデザイナーを志し、東北地方から上京後、服飾専門学校に進学。まだオーダーメイドの服が珍しくなかった当初、いくつかの店で修行を重ねながら腕を磨きました。
何件目かの転職先はかなりの規模の店でしたが、その店の女性オーナーが個人的な事情で郷里に帰ることになり、急遽、Bさんは店と顧客を引き継ぐことになりました。
その店の客層の多くは六本木や渋谷界隈の富裕層で、経営は順調でした。また、Bさんは経営への意識も高く、作業フローや材料の管理を徹底するだけでなく、自身でも裁断や縫製、接客といった現場作業をこなし、人件費を圧縮しました。
店の経営に慣れたころ、知り合いに紹介されたAさんと結婚。その後Bさんは、渋谷の奥まった場所に売りに出された狭い土地に目を付けて購入し、店舗と作業場と自宅を兼ねた小さなビルを建設しました。これまで借りていた港区の店舗から移転しましたが、顧客が離れることもなく、順調にローンを返済していったのです。
その後しばらくのち、時代がバブルに向かう前、服飾のオーダーメイドが先細りになると読んだBさんは店をたたむと、仕事で知り合ったパートナーと輸入アクセサリーの販売をはじめました。新しい商売でも無事に売り上げを伸ばしていきました。
かつて店舗と作業場だったスペースは貸し出し、不動産収入も入るようになりました。
夫の葬儀のあとに再訪した姪の真意
地道な経営が功を奏し、安定的な収益を上げてきたBさんでしたが、年齢的な体力の衰えを感じることが増えたために仕事を引退し、残りの人生は奥さんと二人、これまでの預貯金と不動産収入で賄っていくことにしました。
お子さんのいない二人でしたが仲睦まじく、穏やかな老後となるはずでした。
しかしある冬の日、お風呂に入ったBさんは心臓発作を起こし、帰らぬ人となってしまいました。

突然の出来事に茫然とするAさんでしたが、幸い、かつての仕事仲間や知り合いが手を貸してくれ、葬儀だけは無事に終わらせることができました。
「何かあったら遠慮せずに声をかけてね」
葬儀後の会食ののち、気を使って付き添ってくれていた友人や知人も、夕方近くなり、ひとり、またひとりと引き上げていきました。自宅にひとり残されたAさんは、Bさんがいつも座っていた椅子に腰かけ、思案に暮れました。これから一体どうしたらいいのか…。
すると、訪問を知らせるベルが鳴りました。忘れ物でもあったのかと思い、Aさんはインターフォンを取りました。
「はい」
「C子です。B伯父さんの姪の…」
Bさんは親族とほとんど交流がなく、そのため、葬儀に参加者したのはC子さんだけでした。
AさんはC子さんを招き入れるとリビングに通し、ソファを勧めました。
「今回はご足労をおかけいたしました」
「いいえ」
「ご丁寧にお立ち寄りくださり、ありがとうございます」
「ちょっとご相談があるんですよ」
Aさんはけげんな表情を浮かべて向かいのソファに腰掛けました。
法定相続人となる夫親族は2ケタに…
「B伯父さんとAさんの間には、お子さんいないんですよね?」
「そうですよ」
「B伯父さん、よそにお子さんがいたりしないですよね?」
「ええ、もちろんですよ」
Aさんは不躾な言葉に思わず眉を顰めました。
「だとしたら、伯父さんの遺産、私たちにも相続権があるんですよ。知ってましたか?」
「え?」
「子どもがいなければ、奥さんだけじゃなくて、きょうだいにも相続権があるんですよ。私の父は伯父さんの弟なんです。でも、父は2年前に亡くなっていますから、私と私の妹にも、父から受け継いだ相続権があるんですよ」
Aさんは言葉を失いました。
「私、ご存じの通り、Bのご親族とはほとんどおつきあいしていなくて。恐縮ですけれど、その、相続権を持っていらっしゃる方って、C子さんご姉妹ということでよろしいですか?」
「いいえ、違います。B伯父さんは6人きょうだいの長男なんですよ。聞いてなかったですか? 私の父がいちばん下の弟で、その間に伯母が4人。でも、私の父のすぐ上の伯母以外は亡くなっていて、その子どもは、上から3人、3人、2人、あとうちが2人。ですから、甥姪で10人と、B伯父さんの妹にあたる伯母が1人と、そしてAさん。これで相続人全員ですかね」
C子さんとのやり取りは短いものでしたが、Aさんは血の気が引く思いがしました。夫と築いた財産の1/4が、会ったこともない夫の親族のものになるなんて…。
Aさんは、Bさんが生前親しくしていた司法書士に連絡を取りました。
遺言書さえあれば、奥さんの生活は守れたのに
Aさんの話を黙って聞いていた司法書士は、落ち着いた口調で説明を始めました。
「お子さんのないご夫婦の場合、亡くなった方のご両親が存命ならその方たちが、ご両親が亡くなっていたらごきょうだいもしくは甥姪の方々が、法定相続人になります。ご両親の場合は1/3、ごきょうだいの場合は1/4が法定相続分です」
「本当ですか…」
「ええ。実はこれをご存じない方はとても多いのです。ただ、ごきょうだいには〈遺留分〉がないため、奥さまにすべて残すとの遺言書があれば、その通りにできるのですが。ご主人の遺言書はありませんか?」
「いいえ、ありません…」
「ではやはり、ご存命の妹さんと、ほかの甥姪の皆さんと協議するしかありませんね…」
住宅と貸店舗を兼ねた、一等地の不動産を売却
AさんはBさんの親族と度重なる話し合いを持ちましたが、相続放棄してくれる人はだれもいませんでした。そのため、Aさんは不動産の売却に踏み切らざるを得ませんでした。それなりの預貯金はありましたが、建物の立地がよく評価額が高いため、どうしても足りなかったのです。
高齢になってから、住み慣れた自宅を離れることになったAさんは、自分の親族を頼って埼玉県へ転居することにしました。老後は住み慣れた家で、不動産の収益と預貯金で優雅に暮らせるはずだったのですが、それもかなわぬこととなりました。
Aさんのご主人が遺言書を残してさえいれば、Aさんのその後の生活は、なにも心配や心労のないものになっていたはずです。
お子さんがいないご夫婦の場合、配偶者以外の親族が相続人になることを知らなかったばかりに、大きなトラブルに発展するケースは枚挙にいとまがありません。自分が亡きあとも配偶者が安心して人生を送れるよう、お子さんがいないご夫婦は「遺言書」を残すことを忘れてはなりません。
菱田 陽介
菱田司法書士事務所 代表
髙木 優一
株式会社トータルエージェント 代表取締役社長