多くの中高年が直面する「親の介護」問題。老人ホームへの入居に抵抗を持つ人も多く、「親の面倒は子どもが見るべき」と親族一同考えがちだ。しかし、フリーライターの吉田潮氏は、著書『親の介護をしないとダメですか?』(KKベストセラーズ)にて、「私は在宅介護をしません。一切いたしません」と断言する。親孝行か、自己犠牲か。本連載では、吉田氏の介護録を追い、親の介護とどう向き合っていくべきか、語っていく。

「親からの意味不明なメール」が認知症の合図?

◆父、メールが打てなくなる

 

私が初めて父の老化を感じたのは、2008年、父が67歳の時だった。新宿御苑で父と母と花見をしたときに、何にもないところで父が転んだのだ。ただし、その後も家族で温泉旅行にも出かけたり、ごく普通に都内のあちこちを一緒に歩いたりしていたので、認知症の「に」の字も心配していなかった。

 

 

ちょうど、シンガポールに長年住んでいた姉が日本に戻ってきた年だ。父もボケている場合ではなかったのだ。大好きな娘が十数年ぶりに帰国することで、父は明らかに浮かれていた。

 

私自身が深刻だと思い始めたのは、今から6年前の2013年だ。父からのメールの変化である。まず、句読点の「、」「。」と、濁音や破裂音の「゛」「゜」を間違えるようになった。

 

ただし、これは携帯電話のキー操作の問題、あるいは老眼の問題とも考えられる。慣れていない人独特の「あるある」話なのかもしれない。日本語として、ありえない位置に〇がついた文字は、女子高生っぽくて、ちょっとカワイイなと思っていたくらい。

 

父からの実際のメール

 

そのうち、漢字変換ができなくなって、ひらがなだけのメールになった。改行もなく、句読点や濁音・破裂音も消滅した。例えば、メール文面はこうだ。

 

「けんきかちゃんとたへてれかしゃーにーおっとーん」

 

なんというか、中東の香り、イスラム圏の経典の響きのような味わいである。訳すと、「元気かちゃんと食べてるかじゃあねおっどーん」である。父は自分のことを「おっどーん」(お父さんの意味)と書き、メールや手紙の最後に必ず入れていたのだ。

 

ちなみに姉と私は20年くらい前から、父のことをまあちゃん、母のことをネーヤと呼んでいる。本名にちなんだ呼称で、お父さん・お母さんとは呼ばなくなった。もしかしたら、父はそこに忸怩(じくじ)たる思いがあって、「おっどーん」と書くようになったのかもしれない。

 

そのうち、どこをどう押したのか、日本語変換ができなくなって、文面がローマ字だけのメールもきたことがある。もはや解読不能。暗号か、何かの呪いかと思った。以前は、メールで写真もやたらと送ってきたのに。その写真も次第にピントがボケていき、とうとう添付の仕方もわからなくなったようだ。

 

父が奮発して購入したニコンのデジタルカメラも、気がつけばホコリだらけ。60万円が無駄になったわけで。自分で現像して紙焼きにするほど写真が好きだったし、原稿もワープロで書いていたはずなのに。ここまで衰えるものかと愕然(がくぜん)とした。少し悲しかった。

 

とりあえず、親からの意味不明なメールが増えたら、老化が本格的に始まったと思っていい。あるいは頻繁(ひんぱん)にきていたメールがパタリと来なくなったら、やり方を忘れてしまった可能性が大きい。私の父は坂を転がり落ちるように、日常的な作業ができなくなっていった。

 

アナログ世代だからデジタルが不得手なのは当然、と思ってはいけない。今まではできていたことができなくなる。すっかり忘れてしまうのだから。

 

【第2回へ続く】

 

 

吉田 潮

 

親の介護をしないとダメですか?

親の介護をしないとダメですか?

吉田 潮

KKベストセラーズ

多くの中高年が直面する「親の介護」問題。『週刊新潮』の「TVふうーん録」コラムニストで、フジテレビ「Live News it!」コメンテーターの吉田潮さんが、自分の父が「認知症」となった体験をもとに、本音を書き下ろしました。 …

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