「胃ろうにして欲しい」本人の望まぬ延命は、何故減らないのか

スイスへ赴き、安楽死を選んだ女性がNHKで報道されて以降、「人の尊厳」に関わる議論が活発に交わされていますが、重要なテーマの1つに「胃ろう」が挙げられます。口から食事をすることが困難な患者の胃に、直接栄養を送るそのシステム。本記事では、医療法人清水会の理事長である佐藤貴久氏の書籍『医療・介護連携で実現する 高齢者のための地域医療』(幻冬舎MC)より一部を抜粋し、高齢者医療の現状を解説します。

ピンピンコロリを希望する患者への「胃ろう」の是非

徹底した予防医療があっても、高齢者が病気になることや、体力が衰えることは、ある意味、生物として当然のことであり、避けられないことではあります。認知症患者でもほかの病気を迎えた患者でも、最終的には嚥下機能が衰え、食べられなくなり弱っていくのは、もっとも多い最期の迎え方でしょう。

 

食べられなくなったら「老衰」と判断して、そのまま枯れるように亡くなることをよしとするのか、胃ろうなどの経管栄養で生命を維持するのか。そこは本人と家族の判断に任せるしかありません。

 

数十年前までは、どれだけ高齢であっても救命することが正しいと考えられ、どの病院でも家族の希望を聞くこともなく経管栄養に切り替えていました。国民皆健康保険に守られている日本の風土がそうさせてきたのかもしれませんが、胃ろうが急増した理由のひとつに「家族の望む処置」でもあったという面は隠すべきではないでしょう。

 

老衰に近い状態になってくると、病院でできる治療は栄養の補給だけになることがあります。その時に、「家に帰りますか?」と家族に尋ねると「病院で看取って欲しい」と希望する。病院側は何も治療しないのに入院させておくことはできず「では胃ろうをつくります」という結論になる。こういった流れで胃ろうがつくられ続けてきた一面があるのです。

 

また、介護施設のなかには点滴や経鼻経管栄養の患者は受け入れないが、胃ろうの人はそれほど手がかからないので入所を許可するケースが多く、家族の側から「胃ろうにして欲しい」と希望するケースも実際にはあるのです。

 

しかし、こうしてつくられた胃ろうのために、患者本人は望まない延命を続けられることになります。

 

胃ろうは生きるためのカロリーを強制的に入れる方法ですが、多くの患者は寝たきりの状態です。消費カロリーとのバランスが取れずに太ってしまい、ボウリングの玉に割り箸がついているような体型に近づく患者もいます。その姿のまま、ただベッドに横たわり、心臓が止まるのを待つだけという姿は、誰の目から見ても切ないものです。

 

「ピンピンコロリ」を希望していた患者に、胃ろうをつくることが本当に必要なのでしょうか。

 

家族が望む場合、医師はその気持ちをぞんざいに扱うことはできませんが、再び元気になれる可能性のある方が病気治療のためにつくる場合以外、胃ろうについては推奨できないケースが多々あります。その上、嚥下機能が回復しなかった場合、一度つけた胃ろうを外すことは難しいものになるということを、家族も医療従事者も知っておかねばなりません。

 

厚生労働省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」にあるとおり、もっとも尊重すべきは本人の意思です。そのためにも、胃ろうに限らず、延命治療を行うかどうかについて、事前に患者本人と家族に対してメリットとデメリットを丁寧に説明し、本人の意思を確認しておくこと。また本人の意思が確認できない場合でも本人の希望を推測することが高齢者医療の大切なステップとなるのです。

「手を尽くす」ことは本当に患者のためといえるのか?

胃ろうをつくらない場合、栄養摂取ができず身体はどんどん衰えていきます。しかし、これは本来「人が死ぬ」自然な流れであり、患者本人にとっては楽に、穏やかに旅立つための正当な道のりです。

 

高齢者医療を理解している医師であれば、入院中でも在宅療養中でも、ここから看取りの態勢に入る指示を看護師や介護スタッフに行うことができます。しかし、「手を尽くす」ことを使命と感じている医師は、最期の最期まで点滴によって栄養と水分を入れます。

 

点滴を続けると、しだいに低タンパク血症となり、点滴で入った栄養や水分が血管外に漏れ出して、浮腫や胸水、腹水を起こすことになります。なかには胸水や腹水を抜き、再び点滴を継続する医師もいますが、胸水や腹水にも栄養が含まれているため、これをみすみす抜いてしまうことで栄養状態が悪くなります。また胸水や腹水を抜くと水分が失われるため、尿量が低下することにより腎機能が低下することもあります。そうなればますます尿が出なくなり、顔も身体もパンパンにむくんで腫れ上がってしまいます。

 

こうした状態で最期を迎えると、患者は苦しみ、旅立ち後の表情はつらく厳しいものになります。

 

しかし看取りを理解している医師であれば、水分補給は少量にとどめ、だんだんと枯れていくように導きます。浮腫や胸水、腹水のある人は、最期は自身のその水分を使って生命を維持しますから、補給する水分は少なくてすむのです。末梢の点滴だけを使い、食事をまったくとらなければ平均して2~3ヵ月くらいで看取りとなりますし、点滴すらやめてしまえば、普通は約1週間、胸水や腹水がたまっている場合でも2週間以内で旅立ちの時がやってきます。

 

点滴も何もしなければ、人の身体は最小限の「省エネモード」になり、細々と生命を維持し、静かに穏やかに亡くなっていきます。最後は眠るようにひっそりと、死に顔も美しいものになります。

 

「何もしない終末期」の選択ができる医師こそが、高齢者医療の要になると私は思っています。

医療法人清水会 理事長
相生山病院 院長 医学博士

1970年10月ニューヨーク生まれ。1歳半で帰国し、以後名古屋で育つ。
1989年愛知県立旭丘高等学校卒業。1996年藤田保健衛生大学医学部医学科を卒業後、1998年より名古屋第一赤十字病院循環器科へ赴任。翌年に藤田保健衛生大学医学部循環器内科に帰局し、内科認定医、循環器専門医を取得。
2007年、相生山病院副院長に就任、2013年には院長に就任。「患者に寄り添う医療」をモットーに、看護師や医師の対応、サービス等を改善するなどホスピタリティ向上に尽力している。
2016年3月、医療法人清水会理事長に就任。現在は高齢患者の健康寿命を延ばすため、認知症かかりつけ医・認知症サポート医として認知症予防や運動療法の普及にも積極的に取り組んでいるほか、介護施設も多数運営。地域で先駆けて「地域包括支援センター」として市の委託事業に参画。地域の医療・介護サービスの充実を目指している。趣味はトライアスロン。

著者紹介

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佐藤 貴久

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