高齢者の「運転する権利」と「市民の安全」を両立するには?

高齢者による自動車事故がたびたび報道されています。しかし、地方の交通事情などを考慮すると、単純に禁止すればすむ話ではなさそうです。「高齢者が運転する権利」と「市民の安全」はどのように調整すべきでしょうか。塚崎公義教授の目からウロコの経済談義、連載第38回目です。

高齢者が運転する権利 vs. 一般市民が安全に暮らす権利

正義の反対が悪であるならば話は簡単ですが、残念ながら、世の中はそれほど単純ではありません。正義の反対は、多くの場合「もうひとつの正義」だからです。

 

高齢者には、運転する権利があります。とくに、田舎で公共交通機関が不便なところに住んでいる高齢者は、運転しないと生活できないという場合も多いでしょう。そうした人に運転を認めないのは、正義に反するといえそうです。

 

しかし一方で、われわれには「高齢者の運転する車に轢き殺されずに安全に生活する権利」があります。これも、認めないわけにはいかないでしょう。したがって、両者の権利をどう調整するかが問題となるわけです。

 

一般に、便利なものは危険です。たとえば、ナイフ、自動車、銃などです。ナイフを規制している国はなさそうですが、銃はほとんどの国で厳しく規制されています。自動車は免許制にしたり、速度制限を設けたりしたうえで、制限的に許可されている国が多いでしょう。そのなかで、高齢者の運転をどの程度制限すべきか、ということですね。

 

「高齢者の運転規制」を本気で推進する人は少ない!?

高齢者の運転を一律に規制することは、妥当ではないでしょう。高齢者にも運転が上手で認知機能もしっかりしている人は大勢いますから。ただ、高齢者には毎年の免許更新を義務付け、その際にはドライブレコーダー等で模擬運転をさせる等々の条件は付けるべきでしょうね。

 

少しでも問題がある高齢者には、原則として免許は更新せず、どうしてもという場合には「買い物や病院といった必要最低限の道筋をあらかじめ決めておき、そのルート以外は走ってはいけない」「時速40キロ以上は出せないように改造した車しか運転してはいけない」といった条件をつけることでしょう。

 

規制されると困る高齢者は、大きな声で反対すると思いますが、一方で規制を本気で推進する人は少なそうだ、ということは懸念材料です。

 

個々人にとって、高齢者の運転する車に轢き殺される可能性は非常に低いので、わざわざ「規制導入のための署名活動を行う」といったインセンティブを持つ人はいないでしょう。とくに、だれが被害に遭うかわからないという場合には、「自分は大丈夫だろう」という気持ちも手伝って、面倒なことには手を染めたくないと考えるのが人情です。

 

つまり、高齢運転者以外の人々は、規制によって自分が受けるメリットが非常に小さいと感じるわけです。非常に小さいメリットを非常に多くの人が受けるので、日本全体としては規制すべきだとしても、そうした力が働きにくいのです。

 

これは、農産物の輸入自由化と少し似ていますね。農産物の輸入を自由化されると、少数の農家が非常に困り、多数の非農家が少しだけ助かることになるため、農家の反対運動は熱心に行われますが、非農家で農産物輸入促進運動を展開する人はいない、というわけですね。

「疑わしきは罰せず」とも共通する問題点

微妙な問題ですが、これは刑法の「疑わしきは罰せず」とも共通する問題を含んでいます。「99%の確率で連続殺人犯なのだが、決定的な証拠がない」という被疑者は、無罪となります。冤罪を防ぐためです。これは正義ですね。理解できます。

 

しかし、無罪となった被疑者が次に殺人を犯した場合に被害に遭うかもしれない人(つまり、すべての人)にとっては、そんな被害に遭わずにすむ権利があるはずです。筆者としては、冤罪で罪を負わされるのはもちろん嫌ですが、釈放された連続殺人犯に殺されるのも嫌です。筆者に同意する読者も多いでしょう。

 

それならば、確率を計算して適度なところで線引きをしてほしいと思います。筆者はまったくの専門外ですが、いまの刑法では、冤罪防止に重点が置かれすぎているように思います。

「自動運転」を早く認可してほしいワケ

自動運転は、技術的にはかなりいい線まで行っているようですが、「まれに事故を起こしかねないので、認可できない」ということのようです。

 

しかし、筆者はこれを早く認可してほしいと思っています。「平均的なドライバーより事故率が低ければよい」という、ゆるい基準でもいいと思います。むしろ、自動運転車より予想事故率が高いドライバーは免許更新に上記のような厳しい条件をつける、ということにすべきだと考えています。

 

問題は、自動運転を認可すべき担当者が「万が一事故があったときに、自分が批判されるのは嫌だ。認可しなければ、だれも自分を批判しないだろうから」と考えて認可を先送りする可能性があることです。

 

新しいものが世に出るときには、それが成功したら業者の得になり、失敗したら認可した担当者の責任になる、ということになりがちです。そうなると、認可担当者としては、認可するインセンティブが乏しいので、認可がなかなか降りない、ということにもなりかねません。そうした事態にならないように願いたいものです。

 

今回は以上です。

 

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塚崎 公義

久留米大学教授

 

久留米大学商学部 教授

1981年東京大学法学部卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。主に経済調査関連の仕事に従事したのち、2005年に退職して久留米大学へ。
著書に、『老後破産しないためのお金の教科書―年金・資産運用・相続の基礎知識』『初心者のための経済指標の見方・読み方 景気の先を読む力が身につく』(以上、東洋経済新報社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)、『退職金貧乏 定年後の「お金」の話』『なぜ、バブルは繰り返されるか?』(以上、祥伝社)、『経済暴論』『一番わかりやすい日本経済入門』(以上、河出書房新社)など多数。
趣味はFacebookとブログ。

著者紹介

連載塚崎公義教授の目からウロコの経済談義

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