脱サラし、小規模デイサービス「東雲(しののめ)」を経営する大輔。返済のリスケジュールと追加の融資を頼むため、長年付き合いのある銀行を訪ねたところ、「当行からの追加融資は難しい」と突然の死刑宣告を受ける。原因は入居者の減少にあった。隣町にできたデイサービス「えんじゅ」に人が流れ、9割近かった稼働率は4割にまで落ち込んでいたのだ。父が始めた事業を潰してしまうかもしれない、と焦燥感に駆られる大輔だったが……。 ※本記事は、書籍『ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング』(幻冬舎MC)の第1章を一部抜粋したものです。高齢者施設や障碍者施設等、福祉全般の経営コンサルティングを手掛ける藤田直氏の解説と併せてお読みください。

「あのね、ウチはボランティアじゃないんだよ」

「えんじゅ」は隣町の郊外にある、東雲よりも大きなデイだった。近くを通る国道沿いには大きな店舗の紳士服店や電気屋、そしてパチンコ店などが林立している。「えんじゅ」はその国道から小高い丘へと続く脇道に入ってすぐの所にある、急な斜面を利用してつくられている3階建てのデイである。

 

「えんじゅ」の広い駐車場の端に1台の黒い車が止まっていた。車から降りてきた1人の男は、後部座席からアタッシュケースを取り出すと、社員通用口へと歩いていった。

 

「えんじゅ」の1階は大半がガラス張りになっており、中が見えるようになっている。2階と3階は白壁に普通の窓が等間隔でついているが、3階の角部屋だけは外を見渡せるであろう大きめの窓がついている。外からは分からないが、南向きの角部屋は社長室だ。

 

社長室には4人の男が集まっていた。1人はスーツ姿で髪をオールバックにしている。中央の執務机に座っており、銀縁の眼鏡をかけたこの男が社長のようだ。もう1人はこの男と同じくストライプのスーツ姿で、書類を片手に机の前のソファに座っている。残りの2人は、ここの介護スタッフらしいユニフォーム姿で、靴は動きやすそうな運動靴を履いていた。やはりソファに座ってスーツ姿の男と対面している。

 

「最近デイの利用者数が伸びてないようだけど、どうなってる?」執務机に座ったまま、社長と思われる男が聞いた。「はい、新規オープン以来、かなり利用者も増えてきたので、いったん集客施策は止めています」ユニフォーム姿の男が答えると、男は立ち上がり、強い口調で言った。

 

「ダメだよそんなことしちゃ南谷君。すぐにチラシによる宣伝を再開して」「し、しかし、鮫島社長。これ以上利用者が増えると、リハビリメニューがこなせないという現場の声も聞こえていますので……」「何言ってるの君は? ここの家賃とあのマシンを維持するのに月々いくらかかってると思ってるの? 新しいうちにどんどんたくさんの人に利用してもらわなくちゃ、ダメじゃないか、儲けなくちゃ意味ないよ」「……も、申し訳ありません」ユニフォーム姿の男は握った拳を膝に置いたまま言った。

 

「鮫島社長、今月の収支については順調にプラスを維持しています。ここで固定費削減の努力をしていけばさらに利益が増え、そのお金を追加の宣伝費にかけることもできますよ」ユニフォーム姿の南谷と呼ばれる男に代わって口を開いたのは、反対のソファに座るスーツ姿の小太りの男だった。

 

「ありがとうございます、小池先生。いやあ、先生の言うとおり一気に設備投資して良い事業所をつくって良かった。おかげでウチの『えんじゅ』に敵うデイはありません」

 

「鮫島社長、その設備投資分は毎年の減価償却で損金計上できますから、節税効果にもなっています。ちなみにリハビリマシンを追加で導入されるなら、リースよりも購入を検討されてはどうですか? いい業者を紹介しますよ」どうやら、小池と呼ばれる男は会計士のようだ。

 

「南谷さん、このコストの内訳にある『おかし代』については、もう少し工夫できませんか? 一般的な額より少し高い気がします」スーツ姿の小池が今度は南谷の方に向き直ると、無表情に言った。「お、おかし代ですか?」南谷が言葉に詰まっていると、横にいたもう一人の若い男が応えた。「小池先生。ウチで仕入れているしずく屋のきんつばは利用者に人気で、ここに来る利用者さんは毎回これを楽しみにしています」

 

「きんつばなんて、ほかにもあるだろう君」社長の鮫島が割って入った。「……ですが、ほかのものにしたら利用者さんたちから……」若い男が反論するのを南谷が手で制したが、鮫島は気分を害したようだ。強い口調でユニフォーム姿の2人に向かって言った。

 

「あのね、ウチはボランティアじゃないんだよ。利用者に喜んでもらっても、儲けなくちゃ意味ないんだよ」「南谷君、チラシの件はすぐに始めてくれよ。さあ、私は小池先生とまだ話があるので、君たちはすぐに仕事にとりかかってくれ」そう言うと鮫島は手を上げ、ユニフォーム姿の2人へ社長室からの退出を促した。

 

(第2章に続く)

解説:「優れたサービス」だけでは事業は成り立たない

◆利益は利用者の満足に直結する

 

利用者のことを一番に考え、どれほど優れたサービスを提供しようと考えても、それだけでは事業は成り立ちません。

 

たとえば、ある介護サービス会社が、すべての利用者が楽しめて、リハビリ効果の高い体操を開発したとしましょう。しかもすべてのスタッフが専門知識と超一流の接客術を身に付けているとします。

 

しかし専門知識と超一流の接客術を身に付けたスタッフを維持するには莫大なコストがかかります。高い給料とスタッフへの教育コスト、すばらしい接客には、それに見合うすばらしい設備も必要です。

 

極端な話だと思うかもしれませんが、実際、事業を継続するにはすばらしいサービスを提供し続けられるだけの「体力」、つまり「利益」が不可欠なのです。この当たり前の原則を無視して事業を行うと、会社は簡単に倒産します。

 

前述の例をもし本気で実現しようと思うなら、逆にそれだけのサービスを提供しても赤字にならない「利益」を、叩き出せる事業にしなければなりません。このように事業の本質を考えると、利益は利用者の満足に直結していることが分かります。事業者は、利用者のことを本当に想っているなら、利益をどう確保するのかを同時に考えなければならないのです。

 

一方で利益主義に翻弄される事業者も利用者のためにも利益を出す必要があると分かると、鮫島社長の「儲けなくちゃ意味ないよ」もあながち否定はできません。ただし、利益さえ出せばそれが正しいと考えるようになると、その事業者には大きな問題があると思った方が良いでしょう。

 

なぜなら利用者のために利益は必要ですが、利益を出すためにその事業があるわけではないからです。より分かりやすく言えば、利益をたくさん出す事業者がいたとしましょう。しかし、それが利用者の満足につながっていなかったとしたら、その事業は社会にとって不要のものといえるのです。

 

◆熱意だけではやっていけない時代が来た

 

介護事業は民間参入が認められ、大企業の事業展開や、中小事業者の開業が相次いでいます。競合がひしめくなかで、もはや熱意や想いだけでは、介護事業を存続することは難しくなっています。

 

現在の状況は、サービスを必要とする利用者数よりもサービスを提供する事業者数が勝っている状態です。となると必然的に「利用者獲得競争」が起きることになります。

 

介護事業者の中には「競争」なんて嫌だと考える人も少なくありません。元々「福祉」の精神で入った世界なのに、人と張り合うようなことはしたくない、と拒否反応を示される人もいることでしょう。しかし、競争原理が働くようになった以上、競争することが一層の利用者満足につながるのだから、と前向きにとらえる必要があります。

 

◆踏み出す勇気はあるか?

 

長年介護業界を見てきた私からすると、競争に際して事業者に最も欠けている部分は「集客」のノウハウです。分かりやすく言えば、上手に人を集める営業や宣伝です。利用者の満足度を上げるサービスについては一生懸命頑張るけど、営業や宣伝は苦手という方は多いものです。

 

たとえば営業でいえば、利用者が増えるか増えないかはケアマネからの紹介を期待する「待ちの姿勢」が基本となっていたりします。もしくは地域のケアマネに営業をかけるくらいで、それ以上の発想がなかなか生まれません。宣伝にしても同じです。介護業界には今やそうした新しいことにチャレンジする勇気が求められているのです。

ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング

ストーリーで学ぶ 介護事業共感マーケティング

藤田 直

幻冬舎メディアコンサルティング

介護事業を始めれば、すぐに利用者が集まる時代は終わった――もはや「マーケティング」なしでは生き残れない。 廃業寸前の介護施設「復活ストーリー」から学べ! 高齢化が進む日本介護事業を始めれば、すぐに利用者が集…

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