前回は、東西ドイツの統一によって、ヨーロッパにおけるドイツの存在感がより高まったことをお伝えしました。今回は、その統一後のドイツを牽引した二人の首相をご紹介します。

旧東ドイツの復興に邁進したコール首相

ドイツ経済は東の併合で重い荷物を背負い込み、長い間苦労することになりました。何しろ東ドイツの国民はヒトラーの全体主義から、ソ連型共産主義へと、一九三〇年代から六〇年間、自由主義経済をまったく経験しなかったのですから、お金を儲ける喜びをまったく知らなかったのです。

 

東の復興を援けるため、西の市民は復興税を徴収され、不服を口にすることなく払い続けました。東の経済が動きだし、ようやく一つのドイツ経済になったのは、統一から二〇年以上経ったごく最近のことです。コールの単一通貨導入と東西マルク一対一交換という、二つの決断は、今日の強い大きなドイツをつくりだす決定的な出発点になったのです。

 

ドイツ統一に続くソ連邦の崩壊と、それにともなうソ連圏東欧諸国の自由化は、地政上の大きな変化をもたらしました。ヨーロッパの中心は一挙に一〇〇〇キロ北東に移動し、その中心にドイツがしっかりと腰をおろすことになりました。しかも東欧諸国はドイツ並みの経済パフォーマンスを見せるものが多く、EUのなかのヨーロッパ北東部に新たに堅実な経済のグループをつくりだしました。

 

パリの凱旋門を中心にしていたころのEUは、東西に分割されていたドイツが、旧ソ連の共産圏との境界でした。ドイツ統一とソ連圏の崩壊で、この中心が大きくベルリンに移動し風景が一変しました。ブランデンブルグ門に立って見渡しますと、ベルリンを中心に、東はモスクワを越えてシベリアまで、南はスペイン、イタリアから地中海を睥睨する広大な世界が見えてきます。この眺望はEUおよびユーロ圏が、今後はドイツを中心に発展していくことを、象徴するものです。

労働市場の規制緩和を進めたシュレーダー首相

統一後の強いドイツをつくった、もう一つの要因として、ここで二〇〇三年に始まったシュレーダー改革注5に注目する必要があります。

 

コールの長期保守政権のあと、ドイツ社会民主党(Sozialdemokratische Partei Deutschlands:SPD)政権の首相に就任したシュレーダーは、改革プロジェクト「アゲンダ二〇一〇」を提唱し、労働市場の規制緩和に取り組みました。労働者の政権でありながら、労働組合の抵抗を抑えつけて改革を押し進めました。三〇年以上昔のサッチャー英首相の労働市場改革を思い出します。

 

シュレーダー改革はユーロ導入の完成とほぼ同時に開始されましたが、この辺りから東ドイツの経済もようやく動き始めるようになって、東の併合で落ち込んでいたドイツ経済が少しずつ活気を取り戻していた時期になります。この絶好のタイミングでエンジンをスタートさせたことで、改革は大きな成功を収めました。

 

大陸ヨーロッパの経済を金縛りにして停滞させているのが、労働市場を硬直化させている過剰な規制です。労働時間の制限やリストラの規制など、企業経営者にとって負担になる規制が山ほどあります。左翼政権でありながら、労働規制に挑戦したシュレーダー改革は、統一後の強い産業国家ドイツをつくった政策として大いに評価されています。

 

注5 『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』 熊谷徹 日経BP社 二〇一四年

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