前回に引き続き、「ブッダ」の生涯を振り返りましょう。今回は、ブッダの教えがどのように広まったのかを説明します。

仏教の大きな特徴は、教えの「公開性」にある

仏教思想の中心は「中道」と「四諦」と言ってもよい。四諦については松原泰道著『法句教入門』に詳細に書いてあるので参考にされると良い。

 

今回は、「中道」を中心に話そう。シッダールタにとっても最初から全体像は見えていなかったと思われる。しかしこれも簡単に例えてみると、息を切らして道を走るのが苦行で、道をゆったりと歩くのが中道という観念であろう。

 

仏典によると彼の前にマガダ王に変身した天魔が現れたことがある。天魔は「還俗せよ」という。見返りに国の軍隊と統治権の大半を移譲するという。この誘惑をシッダールタは断る。彼は「政治」と決別したのだ。

 

彼は出家した六年後の十二月八日、ブッダガヤの菩提樹の下で座禅中に三十五歳で悟りを開いてブッダ(釈尊)になった。そして断食を解いて村娘スジャータの乳粥を飲んだのだ。

 

悟りを開いたブッダは、その悟りを大勢の人に伝えようとした。ブッダ(仏陀)の教えが仏教だが、仏教の大きな特徴は、その教えの「公開性」にある。実はゴータマ以外にも「目覚めた人」と言われた人物が多くいたようだが、苦行により得られた教えなので、一般に公開するのが惜しくなってしまったという。

 

日本人は苦行好きの傾向があるが、シッダールタが苦行でなく中道を選んで釈尊になったことを、しっかり銘記すべきである。釈尊は苦行をしたから中道を見つけたのではなく、「苦行をしたにもかかわらず」中道を発見できた。これは天才的な宗教者ならではのことである。

 

釈尊は世の中の大勢の苦しんでいる衆生のために、何かしてあげたいという気持ちを持った。これを「慈悲」と呼び、仏教の持つ世界唯一の精神である。

 

そこで釈尊はすべての天魔を降伏させ悟りの「彼岸」に渡った。しかし永住せず此岸に還ってきて、四諦を中心とする教えを説くべく文化都市ベナレスに向かった。そして郊外のサルナートで苦行仲間の五人を見つけた。

 

ここで話題を転じて「がんばる」という日本語について述べたい。先年の東日本大震災の後、マスメディア、特にNHKで「がんばろう」「がんばります」という言葉を九割くらいの人が口に出し、私には耳ざわりだった。

 

本来七十年くらい前までは「がんばる」は「我を張る」という手前勝手な単語だった。苦行を想像させ少なくとも仏教では禁句だった。

 

私見では災害の後では小児、老人、うつ病患者、被災者に「がんばる」は禁句である。これは日本語の弱化、狂暴化だろう。上諏訪の鎌田寛先生は「がんばらないけど、あきらめない」という優しい仏教的人生訓を唱えている。

仏教の人生訓におけるキーワード、「自灯明・法灯明」

さて、釈尊はサルナートで五人の仲間に初の真理を説いた。「初転法輪」といい、仏教が成立した。

 

釈尊の有名な「毒矢の譬え」があるが、グダグダと理屈をいわずに刺された毒矢はすぐ抜くしかない。釈尊の教えを罵る前に「今一番大事なこと」「現実」の重視であり、ひろ氏の「明日できることは今日やるな」とか「中道」「がんばらない」の思想に通ずる。

 

「死後」について釈尊は語らない。つまり人間の常識通りタブーとしている。インドの「輪廻解脱」社会の中で釈尊としては当然だろう。釈尊の最後の旅での教えは今後、彼岸へ行くブッダに頼らず「自灯明」「法灯明」であり、これが遺言となり、仏教の人生訓における、人々が頼る、キーワードとなった。

21世紀の驚くべき海外旅行

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藤間 敏雄

幻冬舎メディアコンサルティング

旅行する前に知っておきたい世界各国の歴史や政治状況を実際に各国へ訪れた著者が記す。 ロシアなら独自のインフラやモスクワの風格、 スペインは内戦の傷跡や王の気質を、 アメリカのドラッグ問題… 各国の宗教・伝統…

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