前回は、交通事故による「高次脳機能障害の認定」の矛盾と問題点を説明しました。今回は、自賠責保険の認定で「画像所見」にこだわる理由を見ていきます。

現状の認定基準では、認定漏れの可能性も・・・

前回の続きである。

 

2006年6月、国土交通省の「今後の自動車損害賠償保障制度の在り方に係る懇談会」において指摘を受け、自賠責は2007年に「自賠責保険における高次脳機能障害認定システムの充実について」という表題の報告書を出した。

 

この中で問題視されているのが、画像所見などのない高次脳機能障害につき、自賠責で認定されない被害者がいることである。

 

そこには、「現行の認定システムでは認定されない高次脳機能障害者が存在するのではないか、との指摘が未だに存在する」とあり、検討委員の医師は、その意見陳述において、自らの研究結果(高次脳機能障害を説明する画像を得られなかった例は15%であること、受傷後意識障害のなかった者が5.3%存在していたこと)を発表し、「軽微な外傷で高次脳機能障害を生じる」ことを前提としたうえで、その「機序」の推論まで行っているのである。

 

さらに、別の検討委員である医師の意見陳述では、急性期意識障害がない事例は5・4%であると報告しており、また「軽度脳外傷者の診断にはWHOの診断基準を用い、器質的病変や機能障害の客観的同定には拡散テンソルやNIRS(近赤外線分光法)などを用いた先進的評価法の確立が望まれる」と意見を述べている。

 

いずれも、2001年に始まった高次脳機能障害の認定基準について、現状の基準では認定漏れが生じてしまうことを臨床現場での統計などをもとに指摘しているものであった。

 

その後、自賠責の認定基準は変更されないままであったが、2011年にも同様の報告書が作成され、そこでは米国の研究結果やWHOの基準について報告されている。

 

この報告書によると、アメリカの諸機関の研究結果やWHO基準では、脳損傷といえるためには、必ずしも脳が損傷したこと(「器質性脳損傷」であること)を明らかにする必要はないとされているのである。事故後、こん睡状態や意識障害を伴わない被害者でも、脳損傷の画像所見が明らかでなくとも、高次脳機能障害を起こす可能性があるとされている。

 

しかしながら、ここでも自賠責は、CTとMRIに映るような脳損傷を伴うものだけを高次脳機能障害として扱うことに頑なにこだわっている。

自賠責は「加害者をも納得させ得る根拠」の必要性を主張

このような流れの中で、2013年、厚生労働省は労災について、従来の高次脳機能障害の認定基準の運用を一部変更した。

 

それは、研究の結論として、「画像所見が認められない症例であっても・・・14級を超える障害が残る可能性が示唆された」ことから、今後労災については「画像所見が認められない高次脳機能障害を含む障害給付請求事案について」は、現状の認定基準では認定漏れが生ずるため、全件「本省で個別に判断することとする」としたのである。

 

すなわち、新たな認定基準ができるまでの間、基準に合致しないからと一律に労災申請を棄却するのではなく、基準に合致せずとも本省で個別判断をすることで救済していこうという運用変更であった。

 

それを受け、同年、国土交通省自動車局から交通事故の後遺障害を扱う損害保険各社や、共済の加盟団体である損保協会・各共済宛てに、通達が出された。

 

それは、厚生労働省の労災における運用変更等があったことに触れたうえで、画像所見のない症例であっても高次脳機能障害を残す可能性について考慮する必要があるので、協会においても適正な対応をするように、との内容であった。

 

しかし、2015年現在、自賠責はこれに対して何も対応をしていない。

 

その理由として、自賠責の2011年報告書によると、「加害者をも納得させ得る根拠」が必要だからという。CTとMRI以外の画像技術は、脳損傷を確実に捉えられる技術とはいえないためだとしている。

 

信用性について加害者に有無を言わせないような、かなり信用度の高い画像所見でなければ高次脳機能障害の認定ができないとしているのだ。

 

加害者を納得させ得る根拠とは画像所見だけなのだろうか? 我々からすれば画像所見や器質的損傷にこだわっているのは自賠責保険であり、むしろ加害者のほうが今の医学の状況を説明すれば納得するのではないかと思える。

 

自らの頑なさを加害者に被せて自己弁護しているとしたら、はなはだ不遜なやり方であり、被害者だけでなく加害者に対しても不誠実な態度だと思うが、どうであろうか。

 

旧態依然として画像所見、器質的損傷にこだわり、その認定基準を動かそうとしない。目を閉じ、耳を塞ぎ、一切外部の意見をシャットアウトして、ひたすら自らの制度と論理を守ろうとする姿。医学的な客観性も、社会の流れも受け入れようとしないその自閉的な姿は、もはや頑なさを通り越して病的ですらある。

 

かくも病的な組織や制度に身をゆだねなければならない国民は不幸である。それが交通事故という、誰もが身近に起き得るリスクに関するものであるがゆえ、なおのことである。

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