世の中に変化と革命をもたらす「創造的な思考」

今回は、世の中に変化と革命をもたらす「創造的な思考」とは何かについて見ていきます。※本連載は、棋士・曺 薫鉉氏著、戸田郁子氏訳『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方』(アルク)の中から一部を抜粋し、世界最多勝、世界最多優勝を誇る伝説の囲碁棋士・曺 薫鉉氏が自らの経験をもとに、日々起こるものごとを肯定的、創造的に捉え、人生で勝つための考え方を語ります。

「基本技」はもちろん重要だが・・・

私はいわゆる囲碁の神童だった。五歳のころから父の打つ囲碁に口を挟むようになり、棋院に出入りして大人たちを負かした。九歳で入段試験をパスして、世界最年少のプロ棋士となった。

 

大人たちは私が石を一つ置くたびに、目を丸くして嘆声をもらした。こんなちびっこがどうやってこの手を思いつくのかと、皆が不思議がった。天才という言葉を耳にタコができるほど聞いたが、ふり返ってみると私は天才でもなければ、囲碁もよく知らなかった。私はただ、考え方が自由奔放だっただけだ。

 

当時の大人たちの囲碁は、日本の定石(じょうせき)の影響を強く受けていた。定石とは、昔から今まで続いてきた、攻撃と守備に最善だと言われる石の筋(手順)を言う。数学にも定石があるように、石を打つにも一定の公式とパターンがあるのだ。

 

しかし幼い私は、そんなものがあるということすら知らなかった。私が知っているのはただ、勝つということだけだった。勝つ方法を探して、大人が考えもつかないおかしな手を思いついたのだ。

 

後に日本に行き、初めて定石を習った時、私はこれまでの自分の囲碁がどれほどデタラメだったかを悟り、恥ずかしくなった。定石は一種の基本技だが、それを全く知らずに囲碁を打つことは、手綱のはずれた子馬も同様だ。定石で一丸となった日本の院生たちにあっけなく負かされながら、私は基本技の重要性を実感した。

 

しかし、いったん基本技をマスターしたら、再び子馬にならなければならない。囲碁は型にはまったら終わりだ。考えと考えの戦いに、相手の予測できる当たり前の手しか打てなければ、勝てるわけがない。強い力を持つためには、何よりも異なる考えを持たなければならない。

勝負は「勝った人のもの」

応氏杯で、林海峰との準決勝の一局の際、私は「アキ三角」を二度も作って話題になった。アキ三角とは、三つの石が直角で結ばれる形で、一般的には絶対に作ってはならない愚形(石が固まって働きが鈍る形)と言われる。活路が狭められて非効率的だからだ。「アキ三角は打つな」という法則が語られるほどだ。

 

しかし私は、そうとは見なかった。アキ三角だけを見れば非効率的だが、碁盤全体を見た時にはむしろ危機を乗り越える妙手になると考えた。

 

林海峰との対局の時、私にはこの妙手がくっきりと見えてきた。形はアキ三角だが、上下に見合い(同じ価値を持つ二つの地点。この場合はどちらか一方を取れば、損をしない場所)を作り、相手の大石(たいせき)を断つ筋となると確信した。

 

日本の棋士だったら、アキ三角というだけで、その地点に打たなかったはずだ。日本の囲碁は形と原則を非常に重要視するからだ。しかし私は、そんなことは関係ないと考えた。どうせ勝負は勝った人のものだ。果敢に石を置いた。

 

専門家たちはこの日のアキ三角について、「韓国流の出発」という畏れ多い評価を与えてくれた。日本の囲碁の統制を外れ、独自の道を歩み始めたということだ。実際にこれ以後の韓国の囲碁は、日本が作り上げた原則と禁忌を一つ一つ破りながら成長を始めた。自分たちなりの独特な考え方で、世界最高峰だった日本の囲碁を乗り越えることができたのだ。

 

日本も認める韓国流の定石は、既存の日本の定石とはさまざまな違いがある。日本の定石は形が単純な線を成していて優雅な反面、韓国流の定石は奇怪な形態を成す。定石と呼びようもないほど、おかしな形が出来上がる。日本の棋士たちは、初めは品位が落ちるとあざ笑っていたが、おかしな定石にやられることが増えると、今度は焦り始めた。

 

韓国の棋士たちは、日本の定石ではどうしようもないと判断されたものまで、しぶとく試して活路を見出した。そのために、石の効率性は全く無視された。攻撃のためであれば、時に深く入り込んで、乱打戦を行ったりもした。日本の棋士たちは品がないと考えたが、こちらは関係なかった。どのみち、勝てばいいではないか。

世の中を変えたのは「疑い」を持って質問した者

これは囲碁界に大変なパラダイムの変化をもたらした。世界の囲碁をリードしていた日本は、囲碁を通じて一種の美学を追求していた。彼らにとっての囲碁は、道であり礼であった。ところが韓国の囲碁が登場して、そんなものは関係ない、戦おうと挑んできたのだ。囲碁が勝負をかけた頭脳スポーツだと認識され始めたのは、この時からだ。

 

私は、これは韓国人の気質と関係があると思っている。韓国人は体質的に、型にはまったことを嫌う。スポーツを見ても、野球のように変則が多かったり、そうでなければサッカーのように規則が単純なものを好む。ルールをしっかりと守らなければならない種目は、いらいらして見ていられない。また韓国人は、戦いには必ず勝たなければならないという強い勝負欲を持っている。競技の中継を見ても、効率的にしっかり進めるものよりも、生きるか死ぬかの闘魂丸出しのものの方がずっと多い。強い生存本能と勝負欲が、創造的な思考を生み出したのだ。

 

歴史を見ても、世の中を変えたのは、信じて認めた者ではなく、疑いを持って質問した者だ。問題意識を持って社会を見た者たち、それを解決するために猛烈に悩んだ者たちが、この世を変化させてきた。

 

囲碁の発展も、それと同様だ。定石どおり打つ者しかいなければ、はたして囲碁は四千年の歴史を経た今まで生き延びただろうか。木谷實(きたにみのる)、呉清源(ごせいげん)、林海峰、小林光一など、囲碁界に新風を吹き込んだ人々は皆、定石を超えた新しい手を編み出し、彼らだけの定石を作り出した。その後を、韓国の囲碁界がバトンを引き継いで新しい定石を次々と生み出し、今や中国の棋士たちが新しい棋風をリードしている。

 

変化と革命は、こんなふうに行われてきた。考え、問題意識を持ち、戦う力を養った後、ついに挑戦して勝つのだ。その出発はいつも、他人とは異なった考えを持つ、創造的な思考から始まる。

棋士

世界最多勝(1946 勝)、世界最多優勝(160 回)を誇り、「囲碁の皇帝」と呼ばれる韓国囲碁界の伝説的 な棋士。1953 年生まれ。満 4 歳のときに木浦で囲碁を始め、満 5 歳で修業のためにソウルへ。1963 ~ 72 年、日本での修行生活を送り、瀬越憲作、藤沢秀行という最上の師から薫陶を受ける(瀬越憲作門下)。 1972 年、兵役のために韓国へ帰国。その後韓国を中心に活躍を続ける。 日本の棋士との交流は長く深く、その名を囲碁界で知らぬ者はいない。1989 年の第1回応氏杯で、日・ 中の名だたる棋士を次々と撃破し、優勝。曺薫鉉の名を世界にとどろかせ、韓国の囲碁が躍進するきっかけを作る。「石仏」と呼ばれ、名手として知られる李昌鎬(イ・チャンホ/이창호)を、師の瀬越憲作が自分にしてくれたように弟子として受け入れ、育てた。2016 年、国会議員に当選。

著者紹介

作家・翻訳家

韓国在住。仁川の旧日本租界地に 90年前に建てられた日本式の木造長屋を再生し、「仁川官洞ギャラリー」(http://www.gwandong.co.kr/)を開く。また、韓国で「図書出版土香(トヒャン)」を営み、口承されてきた韓国の民謡を、伽倻琴演奏用の楽譜として整理した『ソリの道をさがして』シリーズ、写真集『延辺文化大革命』など、文化や歴史に関わる本作りを行っている。著書に『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』(岩波書店)、『悩ましくて愛しいハングル』(講談社+α文庫)など多数。

著者紹介

連載世界最強の囲碁棋士が語る人生の「勝負哲学」

世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方

世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉(チョフンヒョン)の考え方

曺 薫鉉(チョ・フンヒョン/조훈현)

アルク

世界最多勝(一九四六勝)、世界最多優勝(一六〇勝)を誇る「囲碁の皇帝」曺薫鉉は、どのようにして戦いに勝ち切ってきたのか? 満九歳で来日し、九年間の修行生活を送った曺薫鉉。瀬越憲作を精神的な師、藤沢秀行を盤上の師とし、…

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