今回は、日銀の「異次元の金融緩和」がハイパーインフレを招く可能性などを検証します。※本連載では、専修大学経営学部の佐々木浩二准教授による著書『ファイナンス ―資金の流れから経済を読み解く―』(創成社、2016年)の中から一部を抜粋し、2013年に日本銀行が始めた「量的・質的金融緩和」について、その概要を解説します。

現在はインフレよりも再デフレ化が懸念される状況

「市場に委ねる」から「市場に働きかける」へ転換した量的・質的金融緩和は,銀行資産の組み替えと貸し出しの増加をもたらし,一定の成功を収めています。ただし,この政策は伝統的な発想と異なる考えにもとづいて実施されていますので,経験したことがない事態を引き起こすリスクをはらんでいます。ここでは,伝統的な金融調節の方針に慣れ親しんだ経済学者や市場関係者が懸念するハイパーインフレと財政ファイナンスについて考えます。

 

◇ハイパーインフレの懸念

まず,ハイパーインフレについて考えます。ハイパーインフレはさまざまに定義されますが,ここでは第1次大戦後のドイツで生じた物価暴騰をハイパーインフレと定義しましょう。量的・質的金融緩和の導入から3年近くが経過した本書執筆時点で,この種の物価暴騰は生じていません。むしろ,再デフレ化が懸念される状況です。未来のことは誰にもわかりませんが,日本でハイパーインフレが起きる確率を考えるのは,欧州の通貨ユーロが消滅する確率や中国が分裂する確率を考えるに等しいのではないでしょうか。

予想される米国の利上げの影響を注視すべき

発生確率が0より充分に高いのは新興資源国型インフレです。資本に乏しい新興国は多くの場合外資を導入して経済を運営します。外資を得た新興国の多くは,農作物,原油,鉱石など少数の一次産品を中心に経済成長を目指します。新興資源国型インフレは,外資本国の利上げや一次産品の販売不振などを契機に起きます。外資本国の利上げは新興国投資の魅力を低下させ,一次産品の販売不振は新興国経済の成長期待を損ないます。よって,外資は流出しはじめます。

 

外資流出によって通貨が安くなると輸入物価は上がります。低下した通貨の購買力を補うために金融を緩和すると,物価はさらに騰貴します。物価の騰貴によって社会の不満に火がつくと政情不安になり,外資引き上げは加速します。事態がより進むと,国内通貨と並行して米ドルが流通するようになります。これをドル化といいます(1)

 

日本は新興資源国ではありませんが,生じるとすれば外国資本の流出,通貨安,輸入インフレ,政情不安,ドル化が襲う,この種のインフレでしょう。外国の中央銀行が日本銀行に5兆円規模の預金をしている現状,心配は少ないのですが,データから状況を確認してみましょう。

 

為替レートは28%切り下がりましたが,輸入物価は原油価格下落の恩恵を受けて12%下がりました。視点をミクロに移すと,円安で食料品など輸入一次産品の価格は上がりましたが,日本を本拠とする多国籍企業の利益は増えました。この得失を数値で測るのは容易でありませんが,ここまでのところ,利益が損失を上回っているようです。しかし,米国の利上げが為替レートや輸入物価に今後どのような影響を与えるかは注視すべきです(2)

 

図表1 マネーの量,為替レート,物価(3)

(1) 長澤訳(2001,p.289)に「自国の輸出が,主として,価格と数量との非常に変化しやすい少数の種類の作物に依存している国―たとえばブラジルのような―の〔中央〕銀行は,種々の貿易を営みその輸出入の総量がかなり安定しているような国よりも,多くの自由準備を必要とする」とある。ドル化についてはDornbusch et al.(1990)を参照。

(2)長澤訳(2001,p.230)に「もし彼らが,その準備に関りなく信用を創造することになったとすれば,金は国外に流出して,通貨の兌換性を危うくするであろうし,あるいは金本位が停止されている場合には,外国為替相場が下落し,したがって輸入品の費用が,高められることになる」とある。

(3)日本銀行,マネーストック,日本銀行,企業物価指数,総務省統計局,消費者物価指数からデータを取得し作成。M1,M3,為替レートは月末値であり,輸入物価と消費者物価は月次データである。第1次大戦後ドイツのハイパーインフレについては戸原(2006)を参照。

 

参考文献

・株式会社大阪取引所『国債先物・オプション取引市場の歩み(2005年~2015年)』2015年。

・黒崎哲夫・熊野雄介・岡部恒多・長野哲平『国債市場の流動性:取引データによる検証』日本銀行ワーキング ペーパーシリーズ,15-J-2,2015年。

・黒田東彦『量的・質的金融緩和―読売国際経済懇話会における講演―』2013年。

・齋藤雅士・法眼吉彦・西口周作『日本銀行の国債買入れに伴うポートフォリオ・リバランス:資金循環統計を用いた事実整理』日銀レビュー,2014-J-4,2014年。

・土川顕・西崎健司・八木智之『国債市場の流動性に関連する諸指標』日銀レビュー,2013-J-6,2013年。

・戸原四郎『ドイツ資本主義戦間期の研究』桜井書店,2006年。

・日本銀行企画局『「成長基盤強化を支援するための資金供給」について』日銀レビュー,2010-J-13,2010年。

・日本銀行企画局『「量的・質的金融緩和」:2年間の効果の検証』日銀レビュー,2015-J-8,2015年。

・日本銀行金融市場局『2008年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2009年。

・日本銀行金融市場局『2013年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2014年。

・日本銀行金融市場局『2014年度の金融市場調節』日本銀行調査論文,2015年。

・速水優『第10回国際コンファランス―「21世紀の国際通貨制度」―開会挨拶』金融研究,21, 4, 33-34,2002年。

・吉野直行・前田実・南部一雄・小巻泰之・坡山奇右『新種預金の導入と預金準備率』フィナンシャル・レビュー,26,1993年。

・Keynes, John Maynard著,小泉明・長澤惟恭訳『貨幣論Ⅰ 貨幣の純粋理論』ケインズ全集第5巻,東洋経済新報社,2001年。

・Keynes, John Maynard著,長澤惟恭訳『貨幣論Ⅱ 貨幣の応用理論』ケインズ全集第6巻,東洋経済新報社,2001年。

・Keynes, John Maynard著,間宮陽介訳『雇用,利子および貨幣の一般理論』下巻,岩波書店,2009年。

・Dornbusch, Rudiger, Federico Sturzenegger, and Holger Wolf, 1990, Extreme Inflation: Dynamics and Stabilization, Brookings Papers on Economic Activity, 2, 1-84.

・Hannoun, Hervé, 2015, Ultra-Low or Negative Interest Rates: What They Mean for Financial Stability and Growth, Bank for International Settlements.

・Turner, Adair, 2013, Debt, Money and Mephistopheles: How Do We Get out of This Mess?, Speech at the Cass Business School, City University.

ファイナンス ―資金の流れから経済を読み解く―

ファイナンス ―資金の流れから経済を読み解く―

佐々木 浩二

創成社

本書は、ケインズ『貨幣論』とバーリ=ミーンズ『現代株式会社と私有財産』を縦糸に、近年の制度とデータを横糸に、やさしい言葉で編んだ書籍です。 次のような疑問や知りたいことがある人にお勧めします。 ・たんす預金は…

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