写真:Presidential Secretariat of Sri Lanka

インドとの経済協定に関するスリランカ国内の議論についてお伝えしている本連載。第3回は、7年前に進んだCEPA交渉のなかで、スリランカ側が引き出したインドの譲歩を中心にご紹介します。

法的枠組みの整備が両国の課題に

利害関係者間の調整によって、インドは輸入制限品目から114品目を取り除くことに合意し、スリランカは36品目を取り除くことに合意した。インドは、スリランカからの既製服の割り当てを800万着までに緩和し、生地がインド製である場合は、300万着までは制限なく無税でインドへの持ち込みを認めた。

 

さらにインドはスリランカを支援するために、スリランカの企業が輸入材で生産した商品の輸出に規制をかけている原産地規則を緩和することも決めた。その結果、436以上の製品がこの新しいカテゴリーに分類され、それらがインドへの輸出の75%を占めるようになった。

 

また両国は毎年、輸入制限品目表を検討することに合意した。その一覧には、優遇処置がとられていない品目も含まれている。

 

両国は規制の枠組を統合することが必要であった。特に、関税手続きと決済手続きにおけるシステムの違いが、交渉を困難にしており、法的枠組の整備の必要性が認識された。そこでCEPAでは国内産業保護、紛争解決、反ダンピングのためのより効果的なメカニズムを構築することも提案されていた。

 

これらの両国の合意は広く報道はされたが、あいにくのCEPA反対運動の盛り上がりの後、マヒンダ・ラージャパクサ前大統領は交渉をやめる決断をしたために、より詳細な情報が共有されることはなかった。そのためCEPA賛成派は有意義な事例を提示できないでいるなか、インドに対する恐怖心を煽るCEPA反対派が成功をしたのだ。

国の「規模の違い」も考慮に入れたインド

小国としてのスリランカの国家規模を考慮に入れ、対等な関係を強く主張しなかったインドは立派だったかもしれないが、もちろん尊大な一面もあった。インド当局と交渉をしていたCEPA賛成派は、インドは官僚的で傲慢であり交渉が大変だったという。

 

また、インドは衣服や茶など、スリランカが輸出で強みとする分野での譲歩を十分にしなかった。しかし、これらはささいな問題であり、スリランカ側はサービス、人の移動、投資において有意義な譲歩を引き出すことができた。

 

CEPAは2002年に初めて議論が上り、翌年、共同研究グループが形成され、同年10月に第一次報告が両国の指導者によって交換された。2004年までにCEPAを進行させる計画だったが、その年、両国では選挙があり、2005年になって初めて技術面に関する議論が始まった。マヒンダ・ラージャパクサ前大統領がこれを要求したのである。

 

13ラウンドの交渉後、協定は2008年のコロンボにおけるSAARCサミットにあわせて締結される予定だった。多くの調整は残されていたが、2008年までに、基本合意を締結し履行する準備はできていたのである。

 

次回は、経済的利益だけでは割り切れない問題として浮上する、ナショナリズムの問題についてお伝えいたします。

この連載は、GTACが提携するスリランカのメディア「ECHELON」が2015年5月に掲載した「The Anti-CEPA Lobby’s Twisted Trade Argument」を、翻訳・編集したものです。

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