一代で11の医療・介護施設の開業に成功した医師の軌跡から、事業拡大における極意を見ていく本連載。今回は、その第2回です。

叔母へ送った、一本の「インチキ電報」

そんな中学3年の夏休みのことです。私はちょっとした行動に出ました。それは「インチキ」の電報作戦です。

 

『ヨイチロ、トウキョウヤッテモイイカエイタツ』

 

と「父の名義」で叔母の元に電報を送ったのです。我ながらずる賢いことをするものです。ただ、半分いたずら心がありましたから、すぐに嘘だと見抜いて相手にしないか、もし信じ込んで連絡が返ってきたとしても、何カ月も後のことだと思っていたのです。

 

ところが意外なことに、返信が翌日に届いてしまったのです。しかも『キテモヨイゲンショウ』という内容です。

 

電報を見せたら父に怒られる、でも東京に行きたい、どうしよう。

 

迷いに迷った挙句、東京への憧れが勝り、怒られる覚悟で父に電報を見せました。

 

電報を見た父は言いました。

 

「お前はどうしたいんだ」

 

思わぬ反応でした。私はすぐに「行きたい」と訴えました。すると父は一言だけ言葉を発しました。

 

「わかった」

 

何ひとつ文句も言われず、電報の理由も聞かず、私は東京へ行くことに決まってしまったのです。それからあれよあれよという間に、東京への転校準備が整いました。

 

ただ一人では旅をさせられないと、もう一人、沖永良部島で教員をしていた叔母の花子に連れられて、東京へ向かうことになりました。

船で30時間、そこからさらに電車で30時間の長旅

今と違って飛行機はなく、沖永良部島から本土へは、夜に出発する貨物客船しかありませんでした。しかも鹿児島まで30時間もかかる船旅です。母の実家が鹿児島にあるので、乗るのは初めてのことではありませんでしたが、ワクワク感がある半面、嘘をついてまで東京へ向かうことになったことへの罪悪感もありました。夜の甲板でぼんやりしていると、真夏の暗い海にプランクトンが無数に青い光を放っていました。それをずっと眺めていた記憶があります。

 

鹿児島市に着くと、花子おばさんと一緒に今度は鉄道に乗りました。乗り換えなどをしながらの、また30時間ほどの長旅です。東京に近づくにつれて、罪悪感などは薄れ、もう頭の中には「東京=銀座」の華やかな景色しかありません。うれしさ一杯で、疲れなどまったく感じませんでした。

ドクター・プレジデント

ドクター・プレジデント

田畑 陽一郎

幻冬舎メディアコンサルティング

医療者である開業医が突き当たる「経営」の壁。 経営者としてはまったくの“素人”からスタートした著者は、透析治療を事業の柱に据えて、卓越した経営センスで法人を成長させていく。 徹底的なマーケティング、2年目で多院展…

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