交通事故被害者が不利になる「立証責任の転換」という問題点

前回は、自賠法制定以前の「交通事故補償制度」の問題点を取り上げました。今回は、交通事故被害者が不利となる「立証責任の転換」という問題点を見ていきます。

被害者が一方的に不法行為の立証責任を負うのは不公平

前回の続きです。

 

以上の2つが、自賠法制定以前の交通事故被害の補償体制の主な問題点だ。実はこのような問題は欧米先進諸国では早くから議論の的になっていた。とくに民法の一般原則である過失責任原理では、交通事故被害という性質を考えた時に被害者に不利になることが多く、賠償責任問題の解決に際しては不適切ではないかという指摘がされていた。

 

資本主義の発達、産業経済の発達に伴い自動車の普及、発達も急激であり、また社会経済の発展のためには自動車の普及は不可欠でもあった。交通事故問題とは社会が発展していく中で不可避的に生じる必要悪のようなものである。それ自体が一つの社会問題であるとすれば、自動車事故に関して、被害者である一個人が一方的に不法行為の立証責任を負わされるのは公平とはいえない。そもそも交通事故における相手の故意・過失を証明することは、その内容からして一般人には困難である。

 

そこで加害者の故意・過失の立証に関しては被害者が立証する必要はなく、逆に加害者が自分に故意・過失がなく、被害者側に故意・過失があることを立証しなければならなくなった(立証責任の転換)。加害者によるこの立証は容易ではないため、実際は損害の存在すなわち客観的要件だけで賠償責任が発生するとした「無過失責任」に近いものとなったのである。

「強制責任保険」として、確実な賠償を保障する体制に

また加害者の賠償支払い能力を確保するための保険制度も確立されていった。すなわち強制責任保険とすることで賠償を確実に保障する体制を整え、先の考え方と合わせることで、急増する交通事故被害者に速やかに、確実に補償を行おうというのである。

 

その結果オーストリアでは明治41年(1908年)に特別法が制定され、以後ドイツでも明治42年(1909年)に自動車交通法に新たな規定が設けられ、その後欧米各国で1930年代までに賠償責任に関する法律や判例が整えられていったのである。

 

これに対して遅れをとっていた我が国も、昭和10年(1935年)頃、当時の内務省社会局において自動車損害賠償保障制度の立案の試みがされたが、結局実現しなかった。

 

戦後になって自動車の普及と自動車事故の急増から、昭和25年(1950年)頃より本格的に新制度の実現に向けて検討を始め、昭和27年(1952年)に新制度を調査研究する協議会が発足、さらなる検討段階に入った。そして、翌昭和28年(1953年)には道路運送法の一部が改正され第125条の2において「運輸大臣は、自動車運送の総合的な発展を図るため、自動車事故による損害賠償を保障する制度の確立に努めなければならない」旨が規定されたのである。

本連載は、2015年12月22日刊行の書籍『ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造』から抜粋したものです。その後の税制改正等、最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

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連載ブラック・トライアングル~交通事故補償の知られざる実態

弁護士法人サリュ 前代表/弁護士

昭和40年、大阪市生まれ。府立天王寺高校、京都大学法学部卒業。平成9年、大阪で弁護士登録。当時問題となっていた弁護士偏在解決の先駆けとして、同10年より弁護士過疎地であった山口県萩市に赴任、独立開業。同16年、弁護士法人サリュ設立。同27年現在、法律事務所を全国7カ所に構え、大阪にて執務する。平成20年より同志社大学法科大学院講師。

著者紹介

ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造

ブラック・トライアングル[改訂版] 温存された大手損保、闇の構造

谷 清司

幻冬舎メディアコンサルティング

現代に生きる私たちは交通事故にいつ巻き込まれるかわからない。実際日本では1年間に100万人近くの人が被害者であれ加害者であれ交通事故の当事者になっている。そのような身近な問題であるにもかかわらず、我が国の交通事故補…

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