前回は、画家たちに「自由に描く喜び」を与えたフランス近代絵画の発展について解説しました。今回は、画家の世代ごとに「フランス近代絵画」の発展の歴史を見ていきます。

1歳違いのルノワールとモネ…各世代での画家の交流も

フランス近代絵画発展の流れを、画家の生まれた年代によって簡単にまとめてみましょう。

 

1830年前後に生まれたのが、マネとドガです。この二人は印象派のさきがけですが、マネは印象派展に参加せずサロンへの出品にこだわりましたし、ドガは計8回の印象派展のほぼすべてに参加しましたが、その作風はあまり印象派的とはいえません。

 

1840年前後に生まれたモネとルノワールは、いわゆる印象派のイメージを最もよく体現しています。年齢も1歳しか違わないこの二人は公私ともに仲が良く、ルノワールが78歳で亡くなった時に、79歳のモネは「彼とともに私の人生の一部も旅立ってしまった」と嘆きました。

 

1850年前後に生まれたのは、ゴーギャンとゴッホに代表されるポスト印象派です。この二人は、年齢が5歳離れていましたし、性格も真逆でしたが、どちらも世間からの低評価に苦しみ、アルルで短期間ながら共同生活を行いました。

1890年前後生まれの「パリ派」藤田嗣治とシャガール

1860年前後に生まれたのが、スーラとシニャックです。二人は、最後(第8回)の印象派展に参加し、筆触分割(色彩分割)を点描(てんびょう)で表現するなど、新しい技法で話題になりました。そのため、この二人は新印象派(点描派)と呼ばれています。

 

1870年前後に生まれたのが、マティスとルオーという野獣派(フォーヴィスト)の二人です。この二人はモローの絵画教室で知り合い、終生の友情を結びました。二人が野獣主義(フォーヴィスム)の絵を描いていた時期はごくわずかで、その後はそれぞれの作風を追求しています。

 

1880年前後に生まれたのは、ピカソとブラックです。二人は立体派(キュビスト)として意気投合し、同じアトリエで共同作業をし、同じような絵を描いていました。しかし1914年に第一次世界大戦が勃発し、フランス人のブラックが故郷を守るために出征したために、二人の仲は途絶えてしまいました。戦後の二人は立体主義(キュビスム)から離れて、それぞれの道を進みます。

 

1890年前後に生まれたのが、藤田嗣治とシャガールです。この二人は生まれ故郷を離れてパリに来て絵の修業をしました。当時のパリには、同様に芸術の都に絵を学びに来ていた外国人が多く、彼らはまとめてパリ派(エコール・ド・パリ)と呼ばれました。

 

これらフランス近代の画家たちは、いずれも現在の絵画マーケットにおいて、高く評価されています。

本連載は、2017年4月28日刊行の書籍『「値段」で読み解く魅惑のフランス近代絵画 』から抜粋したものです。最新の内容には対応していない可能性もございますので、あらかじめご了承ください。

「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画

「値段」で読み解く 魅惑のフランス近代絵画

髙橋 芳郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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