写真:GTACスタッフ

国際収支問題に端を発し、自動車の輸入制限がかけられるようにったスリランカでは、輸入中古車の値段も上がり始めて、庶民からの批判も増しています。このような結果を招いたスリランカの財政・金融政策の問題を概観し、中央銀行改革の必要性を訴えた現地経済誌の記事を、3回にわたってご紹介する連載の最終回です。

ニクソン・ショックに振り回された70年代前半

ここでアメリカのニクソン大統領もニクソン・ショックと呼ばれる壮大な経済統制を実行したことは触れておくべきだろう。これはリンドン・ジョンソン大統領の負の遺産とも言えるベトナム戦争への資金調達のために紙幣が乱発されていた状況下、独立フロート制為替レートを導入するべく行われた政策であった。

 

この結果であるブレトン・ウッズ体制の崩壊に伴い1971年から73年の間、スリランカは全ての国際貿易にストップをかけ、想像しがたいほどに厳格な外国為替管理・二重為替相場・価格統制などが行われた。その結果、闇市場が誕生し、失業率は20%近くまで急上昇した。

 

アメリカでニクソン・ショックが終息したのは、大学の経済学の貢献や、本当の自由主義がアメリカにはあったからだろう。しかし1970年代のスリランカには貿易統制を阻止できる者は誰もいなかった。というのも、この国の経済学は死んでしまったかのように重商主義やマルクス主義、それにナチス流の自給自足のユートピア幻想に占められてしまっていたのだ。

自由貿易を進めるには「中央銀行の改革」が不可欠

スリランカでの為替へのコントロールは、中央銀行が設立された直後の1952年より次々と行われるようになった。外貨節約や輸入代替(※1)に異常に固執した独立後の孤立主義は、ソフト・ペッグ制による国際収支の危機を背景とする。このことから、中央銀行の改革が進まないかぎり、外貨節約や国内生産推進の名のもとに自由貿易は後退してしまうことが予想できるだろう。

 

欠陥あるソフト・ペッグ制こそが、重商主義者や国粋主義者、そしてナチス式ユートピアを支持する者たちの台頭を許した。理想的な解決策としては、1度限りの全面改革の意味合いでカーレンシー・ボード制を導入することが挙げられる。しかし次善の策として、過度に無謀で低所得者に厳しい政策が禁じられるよう、中央銀行の改革に着手するのがより現実的だろう。

 

※輸入代替
自国産業の育成のために、輸入に頼ってきた製品の輸入を関税等で制限し、代わりに自国内で生産するようにすること。

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    この連載は、GTACが提携するスリランカのメディア「ECHELON」が2015年10月に掲載した記事「Trade Regime in Danger Of Import Controls as Money Printing Fuels BOP Crisis」を、翻訳・編集したものです。

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