京都の社長が「小説」を通じて世に問うた「歴史の真実」

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京都の社長が「小説」を通じて世に問うた「歴史の真実」

今回は、歴史小説の執筆を通じて真実を世に問いかけた、京都の社長の例を紹介します。※本連載では、毎回ひとつの事例をあげ、今なぜ社長作家が激増しているのか、そして、本を出すことでどんなドラマが生まれるのかを探っていきます。

明智光秀と荒木村重の「冤罪」とは?

岡野正昭氏は京都府で工事・設計業を営む会社の代表取締役である。

 

岡野氏の十三代先祖は、江戸幕府旗本の牧長勝。初めは織田信長に仕え、下間頼廉の三女を妻に迎える。

 

天正7年(1579年)に、頼廉の長女の夫・荒木村重が信長に謀反を起こしたとして、一族が殺害され丹波に避難したと伝えられている。

 

岡野氏の母は、知将明智光秀と荒木村重の冤罪を晴らすようにと言い残して黄泉の国に旅立った。

 

先祖の心が子孫に伝達される事象は科学的に証明できると説く学者も多い。

 

「先祖の心は魂を媒介にして、子孫の脳に意識として遺伝する」、「先祖を高めれば、子孫も繁栄する」ともいう。

 

 

小説として執筆した「本能寺の変 つくられた謀反人 光秀」では、逆賊・卑怯者と蔑まされた光秀・村重両人の汚名返上を期して、先祖の心を知り、先祖の魂の叫びを創作し、読者に一石を投じるものである。

 

出版後、書籍は多くの反響があり、各メディアにも取り上げられた。

 

「小説を書くことは歴史の真実を世に問うこと」

 

そう語る岡野氏はこれからも筆をとり、書籍という媒体で世に史実を伝えていくだろう。

 

 

岡野正昭 著

『改訂版 本能寺の変 つくられた謀反人 光秀』

 

 


誰が本能寺の変を起こしたのか?

歴史上語られていることが、時として誤っている場合もある。

織田信長は明智光秀に夜討ちをかけられ自害。

400年以上も語り継がれるこのクーデターの有力説を覆す驚愕の書。